庭球部の創部125周年を祝う記念式典が2月15日(日)グランドプリンスホテル高輪にて行われた。当日は應援指導部をはじめ、庭球部OBの伊藤公平塾長など多くのOB、OGや慶大関係者が集まり、慶大庭球部の映えある実績と輝かしい未来を象徴するような記念式典となった。
小泉信三の「練習ハ 不可能ヲ 可能ニス」という教訓のもと、1901年(明治34年)の創部以来、125年にわたって活動を続けてきた慶大庭球部。日本のスポーツ選手で初めてオリンピックでメダルを獲得した熊谷一弥(大正4年卒・宮崎大宮)をはじめ、日本プロテニス界のパイオニアとして知られる石黒修(昭和34年卒・甲南)など数々の名選手を輩出してきた。

まずは塾旗が登場
プロテニス選手としても活躍した坂井利彰部長は「元々テニスといえば軟式テニスだった。そんななかで慶應は世界で戦うために当時日本ではマイナーとされていた硬式テニスへ挑戦した。その決断が熊谷先輩や石黒先輩のご活躍に繋がった」と語った。

庭球部の坂井部長
庭球部OBで、全日本学生テニス選手権(インカレ)にダブルスで上位に進出した経験を持つ伊藤公平塾長や現庭球部監督の原荘太郎監督は「横浜慶應チャレンジャー」の重要性を強調。横浜慶應チャレンジャーは世界の登竜門として2007年から開始した蝮谷のグラウンドで行われる学生主体の国際大会で、昨年は錦織圭選手なども参加した。

会場には多くのOB・OGが集まった
主将の眞田将吾(新環4・四日市工業)の部歌斉唱と應援指導部によるエールで幕を閉じた庭球部125周年記念式典。軟式から硬式へと舵を切ったことが功をなした慶大庭球部。現在も横浜慶應チャレンジャーなど変化することを恐れず挑戦を続けている。150周年、そしてその先の未来に向けて、庭球部は進化を続ける。

新主将の眞田
(記事:塩田隆貴 取材:塩田隆貴、柄澤晃希)

