【バレーボール(男子)】自分のプレーで熱狂を起こすという「生きがい」 期待を背負い飛び続けた大エース /4年生卒業企画「光るとき」 No.41・入来晃徳

バレーボール

25年度に卒業を迎える4年生を特集する特別企画「光るとき」。第41回となる今回は、男子バレーボール部の副将・入来晃徳(環4・佐世保南)。副将として部を率いるだけでなく、コート上で得点を量産する姿はまさに大エース。怪我に苦しめられながらも己と真摯に向き合い、慶大バレー部の期待を背負って高く、大きく飛び続けてきた入来の4年間の航跡を辿る。

 

4年間の始まり

入来のバレーボール人生は長崎県から始まった。小学生でバレーボールに出会うと、一日一日着実に努力を重ね、中学生になると長崎県代表に選ばれた。高校は地元の進学校に通い、勉強と部活の両方に全力を注ぐ。そんな入来の噂を聞きつけた大学バレー部の監督たちが何人も長崎まで足を運んだ。人生の岐路に立った入来が選んだのは、星谷健太朗監督率いる慶大バレー部の道だった。入来が「こんな大人になりたい」と語った星谷監督のもとで、4年間の大学バレーの幕が上がった。

コート上では常に仲間を鼓舞した

入来の武器は、大学トップレベルの高さ。最高到達点は348cm。高打点から放たれる痛烈スパイクはもちろんのこと、ハイジャンプとハイパワー、さらに正確なミート力によって生まれるジャンプサーブは圧巻で、息を忘れるほどの美しささえ感じられる。しかし、この武器は努力なしに得られたものではない。その圧倒的なプレーの裏には、決して平坦な道ではなかった大学バレーの日々があった。

苦しみ、もがいた日々

入来は指の怪我も経験し、2年生まではほとんど試合に出場できなかった。しかし、尊敬する先輩や同期の支え、さらには自ら自身の課題に向き合いひたむきに汗を流した日々が入来を大きくした。入来は部の練習だけでなくウエイトにも力を入れた。3年生になると出場機会も増え、大事な場面で最後の一打を任されることも多くなった。「誰かに責任を託すよりも、託されることのほうが好き」。入来はプレッシャーを楽しんだ。その言葉通り、3年の冬には副将に就任する。清濁併せ吞み、広い心でチームをまとめ上げた。一方チームは、その年の春季リーグ戦で2部に降格。秋季リーグ戦でも、1部に復帰することはできなかった。

最後の年に見えた景色

そして迎えた4年生、ラストイヤー。チームの目標は「1部復帰」。入来は足の負傷を抱えながらも、「最後だから折れてもいい」。そんな思いで出場し続けた。4年生の中で唯一スタメンとしてコートに立つ入来は、大切な同期6人の想いも背負っていた。入来が一番印象に残っている試合はこの年の早慶戦だという。慶大のホーム・日吉記念館で6月に行われた早慶戦には多くの観客が押し寄せ、チームに大声援を送った。「自分のプレーで観客が沸き上がっていた、その感触が忘れられない」と入来は語る。その試合で一番盛り上がったのは第2セット。セット序盤から激しい攻防が繰り広げられ、OH・清水悠斗(新総3・習志野)の好ディグからロングラリーが続いた。入来が相手ブロックの上から鋭いスパイクを叩き込みボールが相手コートに突き刺さると、会場に大きなどよめきと歓声が沸き起こった。入来が振り返ると、ベンチやスタンドにたくさんの笑顔が見えた。観客の感情が一気に動くその瞬間こそが、入来にとって何よりも特別な時間だった。試合には1―3で敗れたものの、1部リーグで優勝常連校の早大からそのセットを奪った。

入来とチームメイト

――バレーボールを辞めたいと思ったことは?

「だいたい常に思っていました」。

決して楽しいだけでは済まないような日々。そんな入来を繋ぎとめたのは、自分が活躍したときの大歓声。そして、多くの人の期待を背負っているという感覚。コートに立ち、自分の一打で会場の空気が変わる。その瞬間にこそ、自分がこの競技を続けてきた意味があると感じたという。この経験から「人が熱狂するものをつくりたい」と考えるようになった入来は、今後、大学を巣立ったあとも人の人生に触れられるような生き方をしていきたいと決意を明かした。

今後のチームを引っ張る後輩たちには、「本当にびっくりするくらい、いい子たち。そんな後輩たちが勝って幸せになってくれたら僕も幸せなので、頑張ってほしい」とエールを送った。

多くの熱狂を生んできた入来

入来は4年間を「やれることは全部やりきった」と振り返る。コートで高く飛び続けた入来は、新たな空へと旅立っていく。

(取材:梅木陽咲)

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