遂に7・8日に控えた秋季野球早慶戦を前に早大応援部の山口和真代表委員主将(政経4=東京・早大学院)と慶大應援指導部の坪井樹音代表(政4・慶應)のお二人に対談を行っていただいた。大所帯のトップとしての意識や、応援に関して、ここでしか聞くことのできない二人の思いをぜひご覧ください。
山口:早稲田大学政治経済学部4年の山口和真です。応援部では代表委員主将と、東京六大学応援団連盟の連盟委員長を務めています。
坪井:慶應義塾体育会應援指導部代表を務めております、法学部政治学科4年の坪井樹音と申します。

早稲田大学応援部山口和真代表委員主将

慶應義塾体育会應援指導部坪井樹音代表
山口:高校まで10年間ほど野球をやっていて、キャッチャーをやっていました。僕は野球部でもキャプテンなどを務める立場ではなかったので、大学で応援部に入って、4年生になって主将を務めるというのは、当時の同期からも結構驚かれた印象があります。
坪井:高校まで山口と同じように10年間くらい野球をやっていて、附属校の慶應義塾高校の野球部に所属していました。高校時代は公式戦に出るような選手ではなかったんですけど、すごく周りのレベルが高いところでした。自分はピッチャーをしていたので、今度山口に受けてもらいたいなと思ったりもしたんですけど。中学までは、チーム内で副キャプテンを務めるなど、チームに関わる立場にいました。高校時代は地方から推薦組なども来て、競争社会で頑張ることに精一杯で、何とかベンチ入りを目指していた選手でした。
坪井:下級生の頃はあまり交流がなくて。ただ、他大学には興味を持っていたので、各大学にリーダーが何人いるか、みたいなことは気にしていました。3年生のときに航空部の応援があって、早稲田からは山口が来ていました。自分は航空部の担当だったので、そこで喋ったんですけど、そのときはまだあまり喋ったことがなかったですし、早稲田のリーダーともあまり交流がなかったので、少し斜に構えていたというのはありました。
山口:初めて会ったのはグライダーの応援だと思うんだけど、それより前から存在自体は認識していて、やけにイケメンのバンドがいるなって思ってはいたんですけど(笑)。2年生まではなかなか他大学と一緒に仕事をすることはないので、それまでは一方的に認識しているだけでした。
山口:樹音と同じように高校まで野球をやっていて、高校のときはそんなに自分のレベルが高いわけじゃなかったので、ベンチに入れるように頑張ることに精一杯で野球をやっていました。そういった中で、学院には応援部がなかったので、野球部の控えの選手がグラウンドで応援をするんです。そこで応援をし始めて、もちろん附属校だったので大学の応援にも興味があって。やっているうちに、これいいなって思うようになって、大学に入ったら応援部に入ろうというのは高3の夏ぐらいから考えていました。
坪井:僕は高校時代にめちゃめちゃ大きいけがをしてしまって。上腕と肘にピッチャーの選手生命に関わるような大けがをしてしまいました。結構長い時間リハビリをして。しかも新チームが始まった当初、2年生の夏が終わった直後にけがをしてしまって、結構自分の中でも絶望していました。そんな中で、周りの同期がリハビリ中もずっと「投げる姿を待ってるよ」みたいな声をかけてくれて、すごくチームメイトに支えられたという経験があって。最後は結局、夏の大会の前に練習試合ですけど、ピッチャーとして復帰することができたので、その経験から大学では逆に支える立場というか、頑張っている人のためになりたいという思いがありました。
それで、秋の野球の早慶戦にプライベートで行ったときに、正直そのときは應援指導部とか、それこそ早稲田の応援部とかには全く興味がなかったんですけど、確か2022年の秋って、勝ち点をとれば慶應が優勝だったけど、早稲田が2連勝したときで。そのときは一般の観客席と應援指導部の席が離れていたので横で見てたんですけど、本当に選手くらい悔しがって、なんなら号泣している人たちもたくさんいて、そこに結構衝撃を受けて。自分が同じチームでやっていて泣くのは分かるけど、応援していてそこまで熱意が入っていて、人のために涙を流せるのはすごいことだなって思って。それで興味を持って、自分も本気になって誰かを支えたいという気持ちで入部しました。あと、楽器が好きだったので、音楽をやりたいというのもあって入りました。

坪井:今はトランペットをやっているんですけど、小学校のときに1年間ぐらいだけやっていました。あとは父が音楽好きだったこともあって、趣味でギターやバイオリンをやっていたこともあります。
山口:厳しい部活だという認識は入部前からしていて、いろいろ動画とかも探せば出てくるし、そういうのも見て厳しい団体だというのは知っていました。大学に入ったらそういう熱中できることをしたい、一生懸命何かをやりたいなと思っていたので。入る前からそういう厳しさを期待していたので、逆に期待と違ったとか、思っていたのと違ったというのは、いい意味で何もなかったかなと思います。
坪井:入部してからは、特に練習がきついというよりかは、自分の実力不足というか。それこそ楽器がほぼ初心者で、ブランクもあったので、最初は全く吹けなかったんですけど、自分は吹奏楽団だったので、じゃあ何で貢献したらいいんだろうというところは最初すごく悩みました。ただ、楽器だけで貢献しているわけじゃないというか、やっぱり声を出して選手に声援を届けるというところで、自分のできることをやろうと思ったんですけど。そこに至るまでに、上手い人も多いので、頑張らないとなという洗礼は受けました。

対談中の2人
坪井:自分が1年生のときに秋に優勝して、全国優勝もしたので、そこに至るまで応援がどんどん楽しくなって、盛り上がってくる感じがあって。野球部と一体となって進んでいく感じがありました。本当に具体的に記憶に残っていることがあって、明治戦なんですけど。秋で、試合が長引いたり、雨でちょっと遅れたりして、ほぼナイターゲームみたいな感じになったときに、明治戦にほぼ優勝がかかっているような状態で。負けていた8回ぐらいに先頭が出て、盛り上がっていたときに『朱雀』に入ったんですよ。そのときにすごい盛り上がりで、しかもナイターゲームになって、ちょっと気分的にも高揚するし、ライブみたいな感じですごく熱くなっている中で、18時になると太鼓が使えなくなるんです。『朱雀』が終わった後の『突撃のテーマ』では太鼓が使えなくて。そのときに吹奏楽団としては、やっぱりここで盛り下がっちゃうんじゃないかと思ったんですけど、逆に応援席の人たち全員が拍手で、みんなで心の中でリズムをつないでいるというか。逆に一段階盛り上がるみたいな現象が起きて。そこがもう、応援席に来てくださる方々、野球部と應援指導部が一体になっている、全員で応援を作っている感じがあったので、すごく覚えています。4年間で一番覚えているぐらい記憶に残っています。そのまま優勝できたので、1年生のときは正直、本当にずっと楽しかったですね。
山口:僕らが1年生のときの4年生の先輩がめちゃめちゃ格好良くて。やっぱり1年生から見る4年生って全然違うし、傍から見ていてもすごい応援で、4年生が率先してすごい気持ちを見せてくれた代でした。春はあんまりいい結果が出なくて、秋は優勝がかかっていて、結局負けてしまったんですけど、そのときに「こんな先輩たちでも負けちゃうんだ」と思ったのをすごく覚えていて。別に我々がプレーしているわけではないから、我々がいい応援をしたから優勝できるとか、そういう話じゃないけれども、こういう人たちがやってもダメだったんだという思いがあって。しかも、その代の主将の方が引退するときに、部内の雑誌みたいなもので「なんで優勝できなかったのか、俺には分からなかった」と書いていて。応援の理不尽さというか、そういうものをすごく感じて。そういう経験があったから、我々もそれを知って、一つ成長につながったのかなと思いました。

坪井:逆に2年目は苦しかったです。2年生、3年生のときは本当に勝てないというか、1年生のときにすごくいい思いをしたので、その分勝てなくて。先ほど山口が言っていた通り、先輩方が本当にいろんな手を尽くして、いい応援をしようとなっている中でも、やっぱり結果が出ないというか、勝利につながらないというところで。野球部もすごく頑張っていることを知りながら応援するのは、辛くもあり、悔しくもありました。ただ、劣勢の中でもどうやって応援席を巻き込むか、というところを考えられた年でした。
山口: 早稲田は2連覇をして、応援については、頑張ったら野球部が結果で返してくれたので、応援が楽しい1年でした。

坪井:初めてスポーツサブを務めた年で、慶應はそれぞれのスポーツに1年間担当がつくので、自分はアイスホッケーサブになりました。代替わりして初めての応援がアイスホッケーだったので、その年の運勢を決めるじゃないですけど、学年でも初めてサブを務めるということで責任感がありました。スケート部ホッケー部門と連絡を取りながら、右も左もわからない中で迎えた初めての応援で、本当に50年ぶりくらいに早稲田に勝つことができたんですよ。そのときはもう同期とも抱き合いながら、とんでもなく嬉しかったので、それはすごく記憶に残っています。
ただ、野球は引き続き結果が出なくて。同期の野球サブもすごく悩みながらずっと頑張っていたので、そこを支えながら勝利につなげることができたらいいなと思っていたんですけど、結果は出なくて、そこはすごく悔しかったです

3年次、戦況把握を行う坪井代表
山口:早稲田はスポーツごとの担当もいるんですけど、各試合ごとに当番というのがあって、その当番が試合の応援の計画を練って、連絡を取って、当日も仕切るという形でやっています。
すごく覚えているのは春の優勝決定戦の明治戦で、その試合の当番は自分がやっていたんです。そのときは結構後がない状況で。応援は基本的に4年生の応援企画責任者が作るわけなんですけど、守備回でどういうコールを出して、どういうふうに観客にアプローチするかというのは当番に一任されていたので、自分のできるところで、守備回の応援でどういうタイミングでこのコールを入れたら雰囲気が上がるかなとか、こういう展開だから観客にこういうふうにアプローチしたいなというのを自分で考えていました。結果的に優勝して、応援で勝ったというわけではないですけど、自分が担った部分に関しては、自分の応援がちょっとは貢献したかなというか、何かつながりがあったかなと思えるような初めての体験で、印象に残っています。

3年次、学生注目を行う山口主将
山口:学年が上がるごとに視座が高くなっていく部活なので、3年生であれば、一応上級生側にはなったけれども、まだ限られた範囲しか見ていなかった中で、4年生になったらもっと部全体とか部外とか、そういうところも見るようになるし。応援一つとっても、それまでは守備回とかそういうところばかりやっていたけれども、攻撃回とかも見るようになるというように、やらなかればならないことはだいぶ変わります。その点、我々が3年生の時の(リーダーの)4年生の先輩が少なかったので、4年生になったらこうしなきゃいけないかな、こうしたいなというのは考えながらやっていた方だとは思います。
坪井:僕は逆に3年生のときは、目の前のサブの仕事とかに必死というか、まだあまり部全体を見るというよりかは、特に同期との連帯感を結構意識していたなと思います。サブとして違う部門の部員と交流が増える中で、同期としての連帯感というのは3年生のうちは結構意識していたんですけど、逆に4年生になったらこうしようとかは、あまり意識していなかったなという感じはします。


(取材、記事:慶應スポーツ新聞会 小野寺叶翔、早稲田スポーツ新聞会 土橋俊介、鳥越隼人)


