【フィギュアスケート】<コラム>「頑張れば絶対いいことがある」――鈴木星佳、全てが報われた最後の1年

フィギュアスケート

今シーズンのSP「My Way」――晴れやかな笑顔で演技する姿が印象的だった。

フィギュアスケートファンから愛されたスケーターが1人、スケート界に別れを告げた。

今シーズン引退した慶大スケート部フィギュアスケート部門の主将・鈴木星佳に取材。晴れやかな笑顔とともに競技生活を終えた彼女からの最後のメッセージをお伝えする。

今シーズンのFS「篤姫」のイメージに合わせて衣装を作った。

「最後って、4年間で終わりって分かってたから頑張れた」。そう話す鈴木はラストイヤーである今年、何度も自己ベストを更新した。自身でも「今までのスケート人生の中で、試合の成績的にも自分の気持ち的にもすごく充実した1年だった」と振り返る。このような有意義な最終年を過ごすことが出来たのは、何よりも鈴木自身の絶え間ない努力の結果に他ならない。何度も挫折しそうになりながらも辛い思いを乗り越えてきた経験が、今年の充実感溢れる1年間に繋がっていた。

「最後の1年、自分らしく滑りきりたい」という選曲理由をシーズン開幕時に話していた。

もともと緊張しがちでメンタルが弱いという鈴木。中学校に入学以降は、練習では出来ていても本番では失敗してしまうということが続いていた。試合に出てもショートプログラムで3つのジャンプを全て失敗しフリーに進めなかったり、最下位に終わることもあった。中学3年生の冬にはメンタルトレーニングに通うようになったことでスランプは脱出し、試合でようやく納得のいく演技が出来るようになったが、それでもなお鈴木は自分に自信を持つことは出来なかった。

「私はみんなから『良かったよ』とか『感動したよ』とか言ってもらえるような存在じゃないなと思ってしまって、頑張ってもどうせそこまでしか出来ないとかスケートやってても価値ないのかなとか考えたら大学では他のことやろうと思いました」。

高校でスケートを辞めることも考えたが、周囲の説得や4年生のやり切って引退していく姿を思い返し続けることを選択。しかしそれでも辛い時期は訪れた。大学に入学後は股関節の怪我に悩まされ、試合の一週間前に急に歩けなくなることもあった。大学3年生で出場した東京ブロックではショート落ち。「みんなが目指す道のりからかなり遅れてるように感じたすごく怖い試合だった」と振り返る。

そして慶大フィギュア部の主将となって迎えたラストシーズン。鈴木が最後に選んだ曲は「My Way」(ショートプログラム)と「篤姫」(フリースケーティング)、どちらも「自分の道」を表現するプログラムだった。鈴木は自身の道をこのように説明する。

「みんなが簡単に飛べるダブルアクセルも大学何年生かまでかかったし、小さい頃から器用にすぐ出来るようになる方でもなく度胸がある方でもなく、何度か辞めそうになりながらも一歩一歩着実に頑張ってきた日々の努力とか、地道に積み上げてきたもの全てが『自分らしい道』なのかな」。

鈴木が何年にも渡って積み重ねてきた努力はラストイヤーにしてついに実を結ぶ。苦しめられていた股関節の痛みもぱたりと止み、ジャンプの安定感は格段に増した。苦い経験をした東京ブロックでは自己ベストを更新。さらにウィンタートロフィーでは一緒に練習してきた仲間からの大歓声を受け、自身のホームリンクで素晴らしい演技を披露。「まさか国体で引退出来るなんて思ってもみなかった」と青森県で開催される国体の神奈川県代表を勝ち取った。

そして1月の終わり、引退試合である国体に臨んだ鈴木。後半2本のジャンプで転倒するなど最後の演技は決して完璧なものではなかった。しかし、それにもかかわらず演技後には多くの観客が鈴木の演技にスタンディングオベーションで大きな拍手を送っていた。たとえジャンプの転倒があっても、それは鈴木のスケート人生の集大成を表す演技だった。「最後まで気持ちを込めて滑ることが出来たかな」と話したように、一歩一歩の滑りから思いが伝わってくるような鈴木のスケートは、見ている観客を惹き込んでいた。「18年間大変なことの方が多かったんですけど、最後こうやって色んな人に見守ってもらえてすごく幸せな時間でした」。多くの人を魅了した鈴木のスケートはこうして見納めとなった。

主将として慶大スケート部を率いた1年でもあった。

このラストシーズン、様々なものが鈴木の支えとなっていた。そのひとつは部活の仲間。鈴木は「部活のみんながいなければスケートが出来るようになる楽しさを思い出せていなかった」と話す。一緒に頑張り、本気で応援し合える仲間が鈴木の原動力になっていた。「みんなが支えてくれてるとか、みんなに伝えたいとかみんなが見てくれてると思えたから1年間頑張れた」。

もうひとつは応援してくれる観客、ファンの存在。「観客の方はどんなに悪くてもいい所を探してコメントしてくれるんですよ。そういうのって他のスポーツであんまりないなと思って。ちゃんと自分の過程をずっと見続けてくれる人達がいるからこそ頑張れたのかなって思います」。最後まで温かく声援を送り続けたファンへ感謝の言葉を送った。

そして何よりも大きな支えとなっていたのは家族の存在だ。「両親がすごく大好きなんですけど、特にお母さんはこの1年間最後にどういう自分で終わりたいかを泣きながら話を聞いてくれて、お母さんと2人で作り上げた1年間だったなと思います。お母さんがいなければこの1年間どんなときもめげずにただひたすら練習に向き会うということが出来てなかったんじゃないかなと思います」。鈴木の言葉は両親への感謝に溢れていた。国体の試合後、楽しそうに記念撮影をしている鈴木の側には笑顔で涙を流している彼女の母親の姿があった。それは「お母さんと2人で作り上げた1年間」という言葉を象徴しているようなシーンだった。

鈴木が大好きだというSP「My Way」の歌詞に思いをのせて演技する。

今後は一般企業に就職し、スケートはきっぱり辞めるという鈴木。姉・美桜のように卒業後試合に出る予定もなく、「試合でやり切れたから出たいとは思わない」と話す。

1/11に行われた早慶アイスホッケー定期戦のエキシビションにて。

「頑張れば絶対いいことがある。上手くいかなかった自分だからこそ伝えたかった」。人と比べ劣等感を持ったり、自信を無くしたりすることが何度もあった。それでも鈴木は自分だからこそ伝えられることを見つけ、しっかりとそれを演技を通じて表現してみせた。「試合でも練習でも泣いてばっかり」、そんな鈴木が紆余曲折を経て見せた最後の1年間の演技は、どれもスポーツの素晴らしさ、フィギュアスケートという競技の素晴らしさを伝えてくれるものだった。 

(記事:相川環)

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