24年度に引退を迎えた4年生を特集する「Last message~4年間の軌跡~」。第3回となる今回は、野球部の清原正吾(商4・慶應)。中学時代はバレーボール、高校時代はアメリカンフットボールをしていた中で、大学生から再び野球を始めた。覚悟を決めて入部したものの、レベルの高い環境に揉まれ、1年生の頃から大きな壁にぶち当たった。3年生の春には見事開幕スタメンを勝ち取るも、秋には2軍落ちを経験。熾烈な競争や大きな挫折を経て、4年生では春秋通じて不動の4番の座を射止めた。様々な苦悩や葛藤を乗り越え、彼が”野球”から得たものとは。前編では、清原が「最も印象深い試合」として挙げた昨秋の早慶戦をはじめ、最上級生で花開いた清原の”下積み時代”ともいえる下級生での経験を振り返る。
「振り返ると4年間、苦しいこと、辛いこと、しんどいことだらけだったんですけど、本当に最後に宿敵早稲田に2連勝できたことが何よりも嬉しかったし、これまで自分がやってきたことが報われたなというふうに思えて、最後に堂々と胸を張って野球を終える一因にもなりましたし、本当に人生で忘れることのない2試合です」。4年間で最も印象深い試合として、清原正吾(商4・慶應)は秋の早慶戦を挙げた。
チームとしては5位という順位が確定していた中で、「早稲田に勝つ」という目標だけでも達成すべく、チームは一丸となって早稲田からの勝ち点を奪取。4年生が目覚ましい活躍を見せた早大1回戦の中でも、清原の本塁打は試合の流れを手繰り寄せる大きな1発となった。「4年間の中で1番手応えの良い、完璧な本塁打」。2点をリードして迎えた6回裏、早稲田のエース・伊藤樹(新スポ4・仙台育英)が放った初球、ましてや元々苦手としていたインコースの球を、多くの慶大野球部員が待つレフトスタンドへと叩き込んだ。
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早慶1回戦で伊藤樹から確信弾を放った清原
インコースと言えば4年生の春季リーグ戦、法大戦ではデータを細かく分析され、特に篠木健太郎(横浜DeNAベイスターズ)のインコースに苦しめられた。そんな中、北海道エスコンフィールドで行われたプロとの試合ではインコースの球を豪快に振り抜き、六大学選抜チームの4番として堂々の本塁打で注目を集めた。少し詰まってはいたが、この1本はインコースに対する自信につながったと言う。
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プロ相手の大舞台で本塁打、最高の結果を残した
そして秋季リーグ戦の明大1回戦、9回裏2死走者なし、1点ビハインドという絶体絶命の場面でもこの男が見せた。大川慈英(新国際日本4・常総学院)の初球を捕え、起死回生の同点アーチ。右打者として影響を受けた選手の1人である萩尾匡也(令5卒・現読売ジャイアンツ)が、同じく4年生時の秋の明大2回戦で放った値千金の本塁打を彷彿とさせ、球場全体を大きな感嘆の渦に巻き込んだ。
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明大1回戦、9裏2死から同点弾の清原
ここまで4年生の活躍だけを振り返ると、「4番ファースト・清原正吾」の活躍は非常に煌びやかに映るだろう。しかしその輝かしい成績の裏には、壮絶な苦労と努力の跡があった。入部当時の1年生から順に遡り、清原正吾が野球部に捧げた4年間を振り返ろう。
1年生。「家族のため」と野球部の門を叩いた。幼少期に野球をやっていたとは言え、6年間のブランクによって、周りの選手との間に技術的な大きな隔たりがあることは明白だった。入部した当初、野球エリートが集う慶大野球部でしっかりやっていけるのか不安な気持ちを抱いていたと話す。最初は速球がバットに当たらず、「新幹線が通ったのでは」と思う程。数をこなして感覚を磨いていたが、ずっと速い球を見ていると今度は間が取れなくなってしまう。そのため「自分のフォームを固め、最後に目を慣らすために速球を見る」といった形で塩梅を自ら考えて練習していた。
そんな1年生の清原が意識していたのは、「守備、バッティング、走塁」の全てにおけるレベルアップ。全てにおいて”素人”だった彼は、「1日1日いかに自分が立てた目標に対して妥協せずに過ごせるのか」を意識し、ストイックに課題を潰していった。同じ右バッターの萩尾や正木智也(令4卒・現福岡ソフトバンクホークス)、廣瀬隆太(令6卒・現福岡ソフトバンクホークス)をはじめ、”失敗しない男”渡部遼人(令4卒・現オリックスバファローズ)など多くの選手の動作をまずは自分の目で観察。トライアンドエラーを繰り返し、自分のオリジナリティにできる部分は落とし込むことで、決定的な技術力不足を補った。中でも難しかったことは「走塁」とし、単純に打つ・守るだけではない、点差や試合展開の運びなど、野球の奥深い点を指摘した。
必死に周りに喰らいついた1年間を経て2年生になり、「フレッシュリーグ(=神宮球場で行われる1、2年生を中心としたリーグ)への出場」を目標に掲げた。試合への出場権獲得に向けて、清原は約200人在籍する部内の競争を勝ち抜くこと、そして実戦に向けた速球と変化球の対応力強化に力を入れた。その成果が実を結び、当時2軍の試合で良い成績を残したことが評価され、秋の早慶2回戦で待ち侘びたリーグ戦デビューを果たす。代打での出場ながら、「清原正吾」のアナウンスに観客からは大歓声が上がった。
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フレッシュトーナメントに出場した清原
当時について彼は「観客の圧倒的な人数の多さと迫力を前に、バッターボックスに入った時は地に足がついていない感じがした」と極度の緊張の様子を滲ませた。だが同時に「本当にありがたい環境で野球ができていることを噛み締めながら打席に入り、1球1球追うごとに楽しめた」と話す。「緊張しても無駄」と思考を切り替えられるこのポジティブ精神こそ、どんな場面でも豪快なバッティングで観客を魅了し続けてくれた一因かもしれない。しかし残念ながら早慶戦の結果は凡退、目標としていたフレッシュリーグでも春秋通じて7打数1安打。なかなか結果はついてこなかった。「ピッチャーの最後の決め球」に対する対策ができていなかったことを要因とし、「ストライクゾーンからボールに曲がっていく変化球に対して、どれだけボールを見極めることができるのか」。実戦経験を経て、リーグ戦で戦うために新たな課題が浮き彫りになった瞬間でもあった。(後編に続く)
(取材、記事:佐藤光)