24年度に引退を迎えた4年生を特集する「Last message~4年間の軌跡~」。第3回となる今回は、野球部の清原正吾(商4・慶應)。中学時代はバレーボール、高校時代はアメリカンフットボールをしていた中で、大学生から再び野球を始めた。覚悟を決めて入部したものの、レベルの高い環境に揉まれ、1年生の頃から大きな壁にぶち当たった。3年生の春には見事開幕スタメンを勝ち取るも、秋には2軍落ちを経験。熾烈な競争や大きな挫折を経て、4年生では春秋通じて不動の4番の座を射止めた。様々な苦悩や葛藤を乗り越え、彼が野球から得たものとは。後編では、大学野球生活後半となる3、4年生での経験を振り返るとともに、常に清原の原動力となった”家族”、そして”野球”への想いに迫った。
3年生。現在の清原を形成する上で欠かせない激動の1年となる。春季オープン戦では打撃面で絶好調、6年間のブランクを感じさせない破竹の勢いで長打を量産していた。「大学野球の世界で通用するんだ」という少しの自信がパフォーマンスの向上につながり、春季リーグ戦では見事スタメンを勝ち取る。その背景には、父親との猛練習があった。
「僕自身1番のコーチは父親。この4年間オフの日も常に父と練習し、次の日は野球部の練習に挑むという生活を送っていた。自分の感覚と実戦の結果を動画で擦り合わせ、まずは自分自身で考え、わからなかった時に父にアドバイスを求めた」。1年生の時と同様、何でも周りに頼るのではなく、まずは自分の頭で考えてから相談する。そこからポロッと出た父からの言葉や意識が清原に重く刺さり、ネクストバッターズサークルやフィールド内での所作など、4年間の成長の足がかりとなった。
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父と同じ背番号「3」を着用
着実な進歩と共に「開幕スタメン」という中長期的な目標を達成して喜んだのも束の間、2カード終了後にはベンチも外れて秋には2軍落ち。大きな挫折を味わった。しかしこの「2軍経験」が、一回りも二回りも清原を成長させたかけがえのない時間となった。
「正直2軍に落ちて落ち込んでいたんですが、2軍の選手たちにすごく救われました。お互いに弱みを曝け出し、頑張っていこうと高め合える信頼関係を構築できたことは、1番悔しかった出来事であると同時に1番人間として成長させてくれた期間でした」。秋季リーグ戦優勝、そして日本一の瞬間は応援席から見ていたが、歓喜の瞬間は自分ごとのように喜んだ。ラストイヤーを前に、2軍で切磋琢磨した選手たちの中には学生コーチなど裏方に回る決断をしていく仲間もいた。その一方で清原は、3年終了時点で1つしか叶えられていなかった『スタメンで試合に出ること』『4番スタメンで試合に出ること』『ホームランボールを家族にプレゼントすること』という入部当初の3つの目標達成に向けて、自分の全てをかけて挑もうと決死の覚悟を固めていた。
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仲間たちとともに勝利を喜ぶ清原
泣いても笑っても全てが最後のラストイヤー。春から4番としてチームを率い、2つ目の目標である『4番スタメンで試合に出ること』を達成。幸先の良いスタートを切った。立大1回戦では均衡を破る貴重な適時二塁打を放ち、塁上で吠えた場面が印象的だ。春季リーグ戦終了時にはチーム内打率1位タイを記録、ファーストとして自身初のベストナインも獲得するなど、申し分ない結果を残したと言えよう。ただ清原は「本塁打が出ていないので70、80点くらい」と自身の春の成績を評価する。それだけ清原にとって本塁打は、彼が野球を始めた最大の目的でもある「家族」に対する思いとして譲れないものだったのだろう。
夏季キャンプや北海道エスコンフィールドでの球宴を挟み、迎えた秋季リーグ戦。大学生活第1号本塁打は明大1回戦、窮地に追い込まれた試合を引き分けに持ち込む貴重な1打となった。さらに東大3回戦では先制となる第2号本塁打。そして体がボロボロになる覚悟で臨んだと言う大学生活最後の早慶1回戦、打った瞬間に誰もが本塁打とわかる1発で勝利に貢献した。どれも初球を見事に運んだアーチでピッタリ3本。目標通り、1号、2号、3号、それぞれ順番に父、母、弟の勝児に渡した。
「第1号を父に渡し、『最高のプレゼントをありがとう』と言われた時は1番嬉しかったですし、4年間野球をもう1回始めて良かったなと心の底から思えた。母は常にサポートしてくれていたので、ここまで育ててきてくれてありがとうという感謝の気持ち。弟に対しては、これから始まる大学4年間の原動力になればという思いで渡しました。自分が本塁打を打つよりも、ホームランボールを家族に渡す瞬間が1番幸福感が高かったです」。
清原の最大の原動力は常に家族の存在だった。家族が喜ぶ顔を見るために辛いことも乗り越え、自分を追い込みながら頑張ってきた。出場する試合が増えていくと共に、家族から波及して「観客や後輩の笑顔が見たい」と、徐々にモチベーションの源泉は広がっていった。
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清原の本塁打は選手、観客全員を魅了した
4年間を駆け抜けて、最大の思い出は早慶戦と2軍で過ごした日々。「2軍時代に共に歯を食いしばって頑張れた仲間の存在、可愛い後輩の存在は宝物」である。そんな素敵な仲間にも出会わせてくれた「野球」とは、清原にとってどんなものなのだろうか。
「野球とは、常に家族の真ん中にあったツール。野球には野球部や関係者のみならず、応援して下さる方や地域の方まで巻き込む力がある。やはり父親の影響が強かったですが、親孝行が野球を通じてできたことはすごく嬉しかったし、野球というスポーツの素晴らしさに気付けた、始めて良かったなと思えた4年間でした」。
惜しくもプロ野球からの吉報は届かず、悩みに悩んだ結果野球には一区切り付け、プロ野球選手の夢は今春慶大野球部に入部した弟に託すことを決断した清原。今後はまた家族一致団結し、弟・勝児のためにフルサポートをする準備万全だ。清原が選ぶ次のステージがどんな舞台であれ、慶大野球部で培った経験を活かし、またも”STAR”として躍動する姿を願うばかりである。
(取材、記事:佐藤 光)