24年度に引退を迎えた4年生を特集する「Last message~4年間の軌跡~」。本企画の最終回は、野球部主将・本間颯太朗(総4・慶應)。期待のルーキーとして入部した1年次には、いきなり全国の大舞台でスタメン出場を果たす。2年次にはリーグ戦で「代打の切り札」として活躍を見せると、3年次にはレギュラーに定着し、リーグ戦優勝と明治神宮大会制覇に貢献。最終学年では主将に就任し、チームを引っ張り続けた。本記事では、常に戦力としてチームに欠かせない存在だった本間の4年間の軌跡を辿る。前編では、下級生ながら大きな期待を背負い、試合ごとに成長を重ねた本間の大学前半2年間に迫る。
高校時代には通算38本塁打を放ち、神奈川を代表する強打者として名を連ねていた本間。大学入学当時からケイスポのシーズン開幕前取材やその他各媒体で、「注目の1年生」として名前が挙げられていた。しかしそんな彼も、高校時代に大学野球部の試合を見に行った際には、大学の選手が持つ技術の高さに加え「野球が上手い人たちでも、これだけ必死になっているんだ」と、一球一球に対する「執念」の大きさを感じたという。
この経験を持って大学野球というステージに立った2021年春。慶大野球部はリーグ戦で優勝を飾り全日本大学野球選手権へと駒を進めると、本間は初戦の和歌山大戦で「1番・二塁手」としてスタメン出場を果たす。当時のメンバーといえば、福井章吾(令4卒・現トヨタ自動車)主将を中心に、プロへ進んだ正木智也(令4卒・現福岡ソフトバンクホークス)、渡部遼人(令4卒・現オリックスバファローズ)ら好打者が揃っており、ルーキー、しかも全国大会でのスタメン大抜擢は衝撃的な出来事であった。
衝撃はそれだけでない。本間は試合中、4年生に対し臆せず積極的に声がけをしており、1年生とは思えない肝っ玉を見せた。本間は「中学の生駒ボーイズ時代から、野球選手の根本として“元気を出す”ことの大切さを学んできたので。(選手権出場時は)野球も下手で、『なんで俺が出ているんだろう』って感じでしたけど、その中で自分ができること、声だけは出そうと思っていました」と当時を振り返った。

ルーキーイヤーからスタメンに大抜擢の本間
1年次は春秋を通し、フレッシュトーナメント(=神宮球場で行われる1、2年生を中心としたリーグ)での出場を中心とした。これまで内野の守備に付いていた本間だったが、11月末に静岡各地で行われるオータムフレッシュでは捕手として出場。“捕手・本間構想”は、大学入学前の時点で堀井哲也監督から伝えられていたという。主将で正捕手の福井の引退後、1学年上の宮崎恭輔(令6卒・現パナソニック)、善波力(令6卒)と共に正捕手の座を争うために、1年秋以降は捕手の練習を中心に行ったと明かした。早い段階から、堀井監督にチームの核となる存在として実力を買われていた本間。「ピッチャーとセンター以外は全部守りました」と語るように、チーム全体で本間が試合に出るための活路を模索していたことが伺える。

フレッシュリーグで捕手として出場した本間
リーグ戦での初打席は2022年春。4月10日に行われた東大2回戦にて、適時二塁打を放ちチームの大量得点での勝利に貢献した。2年次は「右の代打の切り札」として、年間打率.500と勝負所での活躍が印象的だった。しかし本間は、2年次の思い出として敗戦した春の明大2回戦を挙げた。「春の天王山、代打で出て1アウト満塁でPゴロゲッツーを打った試合…。あれはめちゃくちゃ覚えていますね」と口にする。「相手は村田さん(=賢一、令6明大卒、現福岡ソフトバンクホークス)で、インコースが詰まって…。時が止まりましたね。『せっかく使ってもらったのに結果が出なくて申し訳ないな、もっと頑張らないと』と思いました」と振り返った。
当時の下山(=悠介、令5卒・現東芝)世代は優勝が期待された世代だったが、秋は最後の早慶戦で1勝すれば優勝というところでまさかの連敗。勝率の差で明大の連覇を許す形となった。さらにリーグ戦終了後、本間にとって最後のフレッシュトーナメントでも、東大にコールド負けを喫するなど悔しい結果に。当時を振り返って「シンプルに力負けですね。僕たちの代の弱いところは、劣勢のときに声が出ない。雰囲気の悪さが顕著に出ました」と語った。その後のオータムフレッシュまでの期間で声を出すようにチームで意識改革を行い、静岡での“早慶戦”を迎えた。当時からリーグ戦で先発を務めていた外丸東眞(新環4・前橋育英)と本間がバッテリーを組み、「宿敵・ワセダ」に勝利。短期間にもかかわらずチームでの声出しに大きな変化が生まれ、本間世代の意識の高さを垣間見る大会となった。(後編へ続く)

宿敵・ワセダ相手に活躍を見せた本間
(取材、記事:北村可奈)