25年度に引退を迎えた4年生を特集する特別企画「光るとき」。第21回となる今回は、蹴球部の藤田祥平(経4・慶應)。早大の支援の元に活動するワセダクラブで楕円球と出会った藤田は、中学から慶應の一貫校に進学。ラグビーのルーツ校である慶大蹴球部でのプレーを夢見て入部したが、怪我とコーチ転向によってその夢は絶たれた。それでも自分に重要な役割を任せてくれた仲間に感謝し、持ち前のきめ細やかさでFW陣をまとめ上げた藤田の4年間に迫る。
憧れのルーツ校、つきまとった負傷
早稲田大学上井草グラウンドで活動するワセダクラブでラグビーを始めた藤田。物心ついた頃から赤黒に馴染んでいた中で、中学受験を経て慶應義塾普通部に入学。「日本ラグビーのルーツ校でプレーしてみたいという思いが湧き、慶應に入った」と藤田は振り返る。
9年間ワセダクラブでプレーした藤田は、6年間慶應の一貫校で過ごしたのちに慶大に進学。日本ラグビー発祥の地を示す記念碑に見守られる慶大日吉グラウンドで、藤田の4年間が始まった。
しかし、藤田の蹴球部生活は順風満帆なものではなかった。1年生で膝を負傷。十分なコンディションで練習に臨むことが難しかった。思うようにいかない日々の中で、腐りかけている部分もあったと藤田は言う。

転機となったコーチ転向、仲間に誓った恩返し
3年生になるタイミングで、そんな藤田に転機が訪れる。同期による投票でFWコーチに選ばれたのだ。学生コーチに就くと、選手として試合に出場することはできなくなる。それでも藤田は前を向いた。「腐っていた自分に、学生コーチという重要なポジションを任せてくれた同期を裏切りたくなかった」。仲間たちへの恩返しを誓った藤田は、きめ細やかなコーチングで蹴球部に欠かせない一員となった。「寮に住んでいたから、選手のキャラクターはおおよそ把握していた。ひとりひとりに合ったコミュニケーションの取り方を意識していた」と藤田は話す。
細部にこだわり徹底したコーチングを行った藤田。トレーニング中に厳しい言葉をかけたり、厳しい練習を強いることがあっても、FW陣の藤田への信頼が揺らぐことはなかった。嫌われ役を買うどころか、彼の周りには常に人だかりができるほど、蹴球部内で愛された存在だった。126代主将・今野椋平(環4・桐蔭学園)は「自分に対しても、チームに対しても、主将の自分が自覚していない部分まで目を光らせ、指摘してくれた」と藤田のきめ細やかなサポートに感謝し「周りの人を惹きつける力を持っている」と人当たりの良さも絶賛した。

125代主将・中山大暉(令7環卒・桐蔭学園)を中心に、FWに多くの4年生が在籍した24年度から一転、ラストイヤーとなった25年度のFW陣は1,2年生主体の若いチームに変わった。始動当初はFW陣の経験不足を不安視する声も聞かれた。それでも藤田は「グラウンドに出たら年齢は関係ない」と一蹴。「緊張している時は声をかけたりもしたが、特段大きく変えることはなく、フラットに接していた」と語った。上級生も下級生もなく、ひとりのプレーヤーとして接した藤田。そんな藤田のコーチングを受けた下級生FWたちは、関東大学ラグビー対抗戦や大学選手権という大舞台でも物怖じすることなく、各々が持つ力を存分に発揮した。
恵まれた出会い、集大成のサインプレー
「4年間、人との出会いに恵まれた」と話す藤田にとって、特に心の支えとなった人物が2人いた。1人目は社会人コーチの吉田雄大(平30総卒・秋田)さんだ。「寝る間を惜しんでミーティングやレビューをしてくださった。雄大さんとFWのことを考え続けた時間はとても濃い時間だった」と藤田は話す。そしてもう1人が、同期でBKコーチを担当した安田雄翔(法4・甲南)だった。「彼が居なければここまでコーチという役職に本気になれなかったと思う。常にグラウンドでパッションを出し続けた安田にエネルギーをもらっていた」と、同じ学生コーチとして2年間苦楽を共にしたコーチ仲間に感謝した。

左から、安田雄翔(法4・甲南)と藤田
そんな藤田に蹴球部での4年間で最も印象に残っているシーンを聞くと、昨秋行われた対抗戦の明大戦、前半25分にラインアウトからのサインプレーで申驥世(文1・桐蔭学園)がトライを決めたシーンを挙げた。「僕と社会人コーチの方で一緒に作ったサインプレーで、5時間くらいミーティングを重ねた上で青貫監督に持って行って採用されたという経緯があった。狙い通り綺麗に決まったことはとても嬉しかった」。記念すべき100回目を迎えた慶明戦で、細部にこだわりぬいた藤田の努力がトライという形で結実した。
怪我で試合に出れない時期が続いた後、グラウンドに立つことが出来ない学生コーチという立場に選ばれた藤田の4年間は、彼が入部前に思い描いていたようなものではなかったかもしれない。それでも仲間との出会いに感謝し、託された学生コーチという役割を一切の妥協なく完遂した。藤田が細部まで魂を宿したサインプレーは、あの時確かに紫紺の牙城を崩した。
(取材:神谷直樹、髙木謙 記事:髙木謙)


