【ラクロス(男子)】「満足できる努力量は存在しない」チームのために走り続けるエースDF へ/4年生卒業企画「光るとき」 No.34・関根瑠偉

男子ラクロス

25年度に卒業を迎える4年生を特集する特別企画「光るとき」。第34回となる今回は、男子ラクロス部・関根瑠偉(政4・慶應)。ディフェンスのエースナンバー「17」番を背負い、高い技術力でロングクロスを巧みに操る慶大ディフェンスの中核だ。同期の中で唯一、大学1年時から試合に出場した経験を持つ関根は何を想い、走り続けてきたのか。

この競技に高校3年間を懸けてみたい

関根がラクロスを始めたのは、高校1年生の時。仲の良い友達に連れられて、ラクロス部の体験会に参加したことがきっかけだった。中学では陸上部で走り幅跳びに励み、球技の経験はなかった。それでも「すごい楽しくて、先輩も優しくて、この競技に3年間を注いでみたいなと思った」とラクロスとの出会いを振り返る。関根にとってラクロスは「新感覚のスポーツ」だった。「棒の中に球を入れてキャッチボールするのも新しい感覚。試合の映像を見ても、激しいし、スピード感もすごいし、全部が新しい感覚ですごい刺激的だった」という。ロングクロスを巧みに操る先輩の姿に魅了され、ポジションはディフェンスを選んだという。しかし、高校1年生の終わりに新型コロナウイルスの感染拡大で思うように部活動ができず、高校3年時のシーズンはトーナメント形式の大会で1勝もできないまま引退を迎え、不完全燃焼に終わった。このもどかしさが、大学ラクロス部へと背中を押した。

自らの成長を追い求めた下級生時代

慶大ラクロス部の入部セレクションを経て、見事入部を果たした関根。そこで先輩に言われた言葉が印象に残っているという。「経験者なんだから入部で満足するんじゃなくて、1年生からリーグ戦に出て、チームの勝利に貢献することが求められている」というものだった。先輩の言葉にも背中を押されBチームまでは順調に昇格を果たしたが、なかなかAチームで試合に出ることはできなかった。それでも、怪我をした選手に代わり1年生ながら出場の機会を手に入れた関根だったが、自身のミスで2失点。その後すぐにBチームに降格するも「心のどこかでBチームの試合にも出られていたし、Bチームの試合を全国準優勝という形で終えて心のどこかで満足しているというか、1年目だしこれくらいかという気持ちは多少あった」と振り返る。「1個上の小川健さんはスタメンとして1年生から出ていたし、そういうところを目指さないといけないんだなってすごい悔しい気持ちで終わりました」と語った。

2年生は成長の一年だった。2年生チームで戦ったあすなろカップでも、優勝に大きく貢献。同期との仲が深まり、より一層ラクロス熱が高まったという。さらにAチームに定着し、シーズン途中からはスタメンとしてリーグ戦に出場。それでも「2年生の時は自分のことで精一杯で、スタメンに残りたいし、先輩に迷惑をかけるようなプレーをしたくないという思いがあったからこそ、チームのことというより目の前のことに集中して試合に勝てればいいやと思っていた」と当時の自分を回顧した。そして、全日本大学選手権大会の切符をかけた関東FINAL4で2部上がりの法政に惨敗。試合に出場するメンバーが大きく入れ替わったこともあり、強いチームであり続けること、チームとして戦う難しさを痛感したと振り返る。

「17」番としてチームを勝たせる責任

3年生になった関根は、2023年度主将の塩原健司(24卒/現・Tokyo Lacrosse Club)からエースディフェンダーの背番号「17」番を継承。「17番をつけて恥ずかしいプレーはできないし、試合に出て良いプレーをしてチームを勝たせるプレーヤーになりたいなと思って臨んだシーズンだった」。この年から佐野清HCが新たに就任したことも、関根のラクロス観に大きな影響を与えた。戦術面はもちろん、ポジションもLMF(ロングスティックミッドフィルダー)に変更されたことで苦労した反面、刺激の多い毎日で楽しかったと語った。同ポジションの先輩である小川豪(25卒/現・Vikings)が怪我で戦線を離脱していたこともあり、関根がLMFの1枚目としてスタメンを務めていた。

3年生にして「17」番を継承した関根

そして、関東学生リーグ第2戦・武蔵大戦は、関根にとって苦くも重要な転機となった。「チームプレーではなくて自分が目立つためのプレーが出てしまって、次の試合で小川豪さんも復帰したら2枚目どころか試合に出られないような立ち位置まで自分の序列が下がってしまって…そこで初めて、自分勝手なプレーをする選手っていうのは試合に出られないということに気づかされた」と振り返る。しかし、再出発を誓った直後の8月に膝の側副靭帯を損傷。復帰と再発を繰り返して2ヶ月ほど戦線を離れている間に同期は試合で活躍し、藤岡凜大(25卒・現Stealers)率いるチームは日本一奪還へ向けて勢いづいていた。「プレーヤーとして輪に入りきれていなくて焦っていた。怪我で強度が上がらずにAチームの7枚目くらいで勝ち確の試合ではちょろっと最後の方に出られるような立ち位置で、全日も1秒も出られなかった。すごい良い試合だったと思うんですけどチームも負けてしまって、その時にすごい武蔵戦をすごい後悔したし、情けなかったし、このチームで全日勝てないんだって思ったし、いろんな感情があって、あの時はすごい号泣したのを覚えています…」と当時の胸の内を明かしてくれた。

4年生の自覚「万事徹底」

ラストシーズンは、最上級生として自分の原動一つ一つが後輩に影響を与えるという意識で、フィールドの内外を問わず「万事徹底」することでまとまりのあるチームにしたいと考えていた。4年生ではディフェンスリーダーとして幹部の一角を担ったが、関根は先陣を切ってチームを引っ張るような性格ではなかったことから苦労も多かったという。「もっと声を出してよとか、もっときつい声かけをしてほしいというのは言われていたし、自分はそこを分かりつつも性格的にできないことはあった。でも、自分の恥を捨てて頑張ろうともがいていた」と振り返る。最初の公式戦である六大戦は伸び悩んだが、早慶戦勝利からチームは勢いづいた。開幕戦の日体大戦前には合宿を行い、地道な準備を経て全員が同じ方向を向いて統一感を持ってプレーすることができた。関根のロングレンジのスーパーゴールを皮切りに、チームは日体大に3-1で勝利。「完成形ではなかったかもしれないけれど、自分たちのやってきたことがやっと実った試合だった」と嬉しそうに語ってくれた。

やってきたことが報われたという日体大戦

その後も、リーグ戦全勝でFINAL4へと駒を進めた慶大。「全員がFINAL4に向かって、日本一への正念場だと思ってラクロスができていたし、絶対に勝てると思って臨んだ」はずだった。しかし、結果は2ー9で明学大に完敗。「明学に勝ってまた一段階レベルアップしていく姿を想像していたので、道半ばで終わっちゃったなという感じでしたね」と話す。戦っている間は負ける気がしなかったと語る一方で、「明学は爆発力があって一回乗らせると手がつけられないチームで、1Qに3点取られて相当焦ってはいましたね。後々聞くと、後輩たちから関根さんすごい焦ってましたね、パニクってましたねって言われるので、それだけ想定外の強さと勢いがあったなと思いますね(笑)」と試合を振り返った。

FINAL4で明学大に敗れた

「日本一」を目指した先に得られたもの

学生日本一ではなく、社会人を倒しての「日本一」を目指し続ける慶大ラクロス部。常に日本一というゴールから逆算してチーム運営を行っていたという。そんなラクロス部の4年間で関根が得られたものは、視座の高さだという。ただ自分が上手くなるだけではなくて、「全員でどうまとまって、同じ方向を見てチームとして日本一を獲りにいけるかというところを見られるようになったし、全部日本一基準でプレーの質も考えるようになったし、チーム全体にも求めていた」と振り返る。また、継続力も培われたと話す。高校から7年間週5日間早起きをして部活に励み、苦しい中でも自主練でも手を抜くことなく全力でやり抜いた。このことは彼の中で一つの自信となっている。

不完全燃焼に向き合い続けたラクロス人生

7年間のラクロス人生について尋ねると、「個人的には、苦楽もあった中で色々やり抜くことはできたけど満足いく結果は得られなかったし、ちょっと不完全燃焼的なところがあるようなラクロス人生でした」と答えてくれた。それでも走り続けられたのは、完璧主義な性格と日本一という目標があったからだという。絶対に勝てるという基準は存在しないからこそ「満足できる努力量は存在しない」という考え方と、そのために努力を惜しまない姿勢が関根の強さだ。大学での悔しさは、社会人でもラクロスを続ける原動力になっていると話してくれた。「また全力でラクロスに向き合ってチームで勝ちに行きたい。それを目指せる環境があるならば、それを使うほかないと思ってラクロスを続けることは決めています。」その言葉からは、何よりもラクロスへの愛と熱い思いが感じられた。卒業後はADVANCE-HANGLOOSEへの加入が決まっている。

努力を惜しまず7年間走り続けてきた関根

7年間の慶應ラクロスはここで終わりを迎えるが、関根にとってのラクロス人生は新章に突入する。完全燃焼のその時まで、仲間と共に走り続けろ。

(記事・写真:長掛真依)

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