25年度に卒業を迎える4年生を特集する特別企画「光るとき」。第49回となる今回は、男子ソッカー部の角田惠風(商4・慶應/横浜F・マリノスユース)。慶大が誇る「10」番であり、副将を務めた荒鷲の心臓。ラストシーズンは全日本大学選抜にも招集されたほか、関東大学1部でベストイレブンにも選出された。今後はJ1の柏レイソルで、プロサッカー選手の道を歩んでいく。プロを目指して、誰よりもサッカーに向き合ってきた彼はソッカー部での4年間を振り返り、何を語るのかー。
サッカーで一番になりたい
角田がサッカーを始めたきっかけは、3つ上の兄の影響だった。幼稚園生の頃にはボールを蹴り始め、気づけばサッカーに夢中になっていた。「サッカーで褒められることが多くて、それが嬉しかった。最初は自分が一番になれる場所だからという理由でなんとなく続けていたんだけど、そのうちにサッカーをやっている環境で一番になりたいという思いがどんどん強くなって大学まで続けてきたのかなと思います」と教えてくれた。
“組織のために”という一つの形
1年時の関東リーグ開幕戦から、スタメンを任されていた角田。「毎試合を一生懸命やっていたらいつの間にか1年が終わっていて、最終的には入れ替え戦で降格してしまった…劇的に負けちゃってたからその印象が本当に強くて、本当にめちゃくちゃ泣いた記憶があります」と振り返る。当時の1年生でトップチームに所属していたのは、角田と立石宗悟(法4・桐蔭学園)の2人だけ。「学年みんなでやる量の仕事を全部2人でやってたから結構きつかった記憶があるかな。クラブチームとか自分のサッカーだけ考えていれば良い環境から、チームのことを考えなきゃいけない環境に飛び込んだのでギャップも感じたんですけど、先輩たちが組織のために働いているのを見て、これも一つの形なんだなという理解を徐々にしていったのを覚えています」と話してくれた。

ブリオベッカ浦安で行われたプレーオフ
チームと個人の狭間で
2年時は足首の怪我もあり「何も伸びなかった1年間だった」と話す。「ずっと足首が痛くて全力でプレーすることにも自然とブレーキをかけていたし、本当になんとなく過ぎていっちゃって本当に後悔の残る1年だったなって思っています。最終的には入れ替え戦で昇格できたので、次に繋がる最低限の結果は出せた1年ではあったのかなと思います」と続けた。

同じ浦安の地で2部に返り咲いた
3年時も、チームとしては2部優勝・1部昇格を果たし、個人としてもベストイレブンに選出されるなど結果だけを見れば輝かしい1年だった。しかし、手術明けでシーズンインを迎えた角田にとって順風満帆なシーズンではなかった。「プレーが安定しない1年だったな。特に総理大臣杯、早慶戦が始まるまではボールロストも多いし、たまたま結果だけは出しているけど、あまりプレーに安定感がなかったな」と振り返る。他方で収穫もあった。「総理大臣杯の早稲田戦。1点目のゴールに繋がったボール運びをしている時に、中盤の選手は目立つのが難しいけど、これを武器にしたらいいんじゃないかと思って。自分のドリブルで持ち運ぶところを武器にしようと強く決めてからは、一個殻を破れた気がして、レベルが一つ上がったかなと思う年だった」という。
ラストシーズンを振り返り、「4年は本当に辛かった。結果が出なくて…副将だったし、10番だったし。やれる練習はしてたのにどうしても結果が出ないというのは、チームを勝たせられなかった自分が情けないなと思うことが多くて。終わってみたら結局降格になっちゃって本当に申し訳ないなって思いますね」と語る角田。個人的には全日本大学選抜やプロ内定と結果も出したが、「本当に後悔の残る1年だった」と悔しさを滲ませた。

「10」番、副将を背負った4年生
4年生の総理大臣杯では、京産大に0−4で敗北。「3年までは結果が出ていたから、多少結果が出なくても目を逸らしてそのスタイルを貫き通してた。0ー4で負けてから、もう本当にここから変えないと何も残せないと思って、監督にフォーメーションを変えてほしいってお願いしに行ったところが、結果は出せなかったけど自分の経験値としては大きなものだったのかな」と話してくれた。一方で、角田の活躍もあり劇的な勝利を飾った関東リーグ第8節の東洋大戦、第21節の日大戦、アミノバイタルカップの明大戦や立大戦も印象に残っているという。エースとして期待される者の重圧と責任感は計り知れないものがある。それでも止まることなく走り続けられたのは、どんな状況や環境でも先を見て行動できる強さと、ただひたすらにサッカーが好きという気持ちがあったからだ。

劇的な決勝弾を決めた東洋大戦
ドリブルを強みとする角田だが、角度のないところからのダイレクトゴールや完璧なクロスなど精度の高いキックも印象深い。効果的な練習について尋ねると、「練習の量がやっぱ大事だなって思う。量があって質が語れる。キックが一番上手くなるのが早い。キックって敵がいなくても蹴れば蹴るほど感覚を掴めるし、精度を上げられる部分なので。誰よりもボールと向き合って蹴ってきたからこそのものだと思う。あとは練習をするときに1球1球蹴り方を変えてみたり、普通のことだけど、みんなが普通にできないことをできていたのかなと思います」と上達の秘訣を明かしてくれた。
気づけば”チームに何が残せるか”考えていた
背負うものも多かったラストシーズン。「1年生の頃の自分からしたらびっくりなんですけど、チームに何を残せるかっていうのを考えるようになった」と語る角田。ピッチ外での仕事も疎かにしないソッカー部の文化や、サッカーに向き合う姿勢を大事にしていた。「一番背中で語れるのはピッチ内だし、そういうところのプレーでチームを引っ張る姿っていうのは意識してました。サッカーについて探究心を持った選手にたくさんアドバイスをしたりだとか、サッカーだけをしてきた自分だからこそ貢献できることを考えてました」と教えてくれた。

3年時から幹部3人はチームの中心にいた
彼がピッチで体現したかったことー。それは「誰にでもできる努力を、誰よりもすること」だ。例えば、切り替えの速さや相手に詰めていくスピードなどだ。「そこで違いを出せていたのは自分が多かったという自負もあるし監督も認めてくれていた。そこを感じてほしくて一生懸命やってたかな」と話していた。長らく荒鷲の中核を担ってきた角田と田中雄大(商4・成城学園/三菱養和SCユース/横浜F・マリノス内定)が卒業するため、来年以降のチームには「全員が全員、良さを出さなければ勝てない局面が生まれるのかなと強く思ってる。俺がやらなきゃっていうマインドで試合に臨む選手が増えると思うから、2部の舞台でも結果は出せるし、1部奪還という目標を達成できるんじゃないかな。強いチームって自分たちの形があった上で自信がある。それで、毎試合主役が変わる。いろんな人がヒーローになる日があると思う」と、この4年間で感じた気づきを話してくれた
どんな道も正解にしていく
「プロで活躍するという目標を考えた時に、ソッカー部を選んだことが正解だったのかは正直今でも分からない」と、率直な思いを口にした角田。「親の説得を突っぱねてでも高卒で何がなんでもプロに行くって言う覚悟も、大学進学を捨てて海外に行くような覚悟もなかったと思う。結局はプロで生きていく覚悟がなかった」と過去の自分を振り返る。「その弱さに気づけたのが、大学進学での一番の収穫かな。素敵な生涯の仲間と出会いながら“どんな道も正解にしていく力”、“正解にする生活を送っていくこと”が結局は結果に繋がると知れた4年間だった」と振り返る。「後悔は残ってる。人生やり直して、もっと早くからもっとサッカーに打ち込んでればって日々思ってる。だけど、もうこの道に来たからそれを正解にしなければいけない。」その言葉には、プロの道へ進む角田の覚悟が滲み出ていた。
4年間を振り返り「日々幸せだった」と語る角田。「練習後とかにグラウンドに残って話す時間は本当に楽しかったし、充実していた瞬間だったのかなと思いますね。俺は部活生じゃなかったからその良さをより感じた」という。そして、この4年間でもう一つ大事なことを学んだ。「いつも誰かのために働く人がいるってこと。それを間近で実感できたこともそうだし、その中で試合に出る権利を与えられた人はそれに応えるだけの姿勢を見せなければいけない。責任が伴うっていうことを学べたのが良かった」と話してくれた。

早慶戦で仲間に胴上げされる角田
プロサッカー選手”角田惠風”へ
角田が所属する柏レイソルは、攻撃的なサッカーが特徴のチーム。「人とボールを動かして相手を打開していく。慶應のサッカーと通じる部分があると思うので、やっていても、見ていても楽しいのかな」と分析していた。他方で、世界的なトレンドでは個人のスピードが求められる時代。「個人としてはそういう能力も求められることをひしひしと感じている」と話していた。また、慶應サッカーとのギャップも感じたという角田。「自分が中心のサッカーだったからこそ、俺がボールさえ触れればそこからっていう考え方になっちゃっていた。俺は一つのピースで、そこに出すか出さないかを決めるのはボールを持っている人っていうのは慶應で失われちゃっていた部分だった。敵、味方、ボール、スペースを認知する力はまだまだ不足しているなって感じる部分だし、今のチームでやれていることが本当に良い環境だなと思います」とすでに学びも多い様子だった。
角田のサッカー人生は新たなステージへー。
これまでの人生が“正解”になるまで、プロの舞台で走り続けろ。
(取材:長掛真依)

