25年度に卒業を迎える4年生を特集する特別企画「光るとき」。第51回となる今回は、男子ソッカー部の西野純太(総4•駒大高)。副将として、プロ内定の田中・角田と共にチームを牽引した西野。1.2年時はリーグ戦出場1試合にとどまったものの、慶大が誇るディフェンスリーダーへと成長。最終学年には、4年ぶりの早慶戦勝利を手繰り寄せ、MVPに輝いた。彼を突き動かしたものとは――4年間の大学サッカーで培った覚悟と情熱に迫る。
西野純太が大学サッカー4年間で学んだこと。
それは、「高すぎる目標でも声に出し、自らに負荷をかけ続けることの重要性」だという。
「どんな目標でも、高く設定して努力し続ければ達成できることを身をもって感じた4年間でした。」
その言葉の背景には、思うようにいかなかった下級生時代と、宣言を機に自らへ負荷をかけ続けた過程がある。
下級生の2年間、西野は思うような結果を残せなかった。けがの影響もあり、関東リーグで出場できたのは1試合にとどまる。出場した試合でも、仲間の応援すらプレッシャーに感じ、自分のプレーを発揮する間も無く途中交代を強いられた。
高校時代には主力としてプレーし、主将も務めていた西野。しかし、大学では思うようにいかない現実があった。高校からの同期である柳瀬文矢(法4・駒大高)が試合に出場し、結果を残していく姿を横か見ながら、自分の立ち位置を突きつけられた。
「1、2年は特に何もできていなかったと思います」
2年のシーズンが終わる頃、西野の中に強い危機感が芽生えていた。
「このままじゃ終われないと思った」
何も残せないまま4年間が終わる可能性。その現実が、初めて具体的なものとして迫ってきたという。
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その思いは行動に表れる。3年に上がるタイミングでの同期ミーティングで、西野は「センターバックで1番になる」と宣言した。
「言わなければ変われないと思った」
当時、チームには主将として信頼を集めていた山口紘生(令和7年卒)がいた。安定したプレーで最終ラインを支える存在であり、西野にとって明確な指標でもあった。その存在を前にしての宣言だった。
そして3年時、西野はスタメンとしてセンターバックの座をつかむ。山口とコンビを組み、最終ラインの中央でゴール前を守り続けた。得意の対人守備の安定感に加え、足元の技術を高めることで、ビルドアップの起点としてボールを引き出す役割も担った。かつて指標として見ていた山口と同じピッチで肩を並べることで、自信と責任感が一層強まった。
さらに西野の意識をより高めた試合があった。2024年の早慶クラシコで、慶應は0-4で完敗。攻撃的なサッカーを志向するチームにとって、この大敗はショック以上の意味を持った。西野は失点の一部に関与し、「一つのプレーで試合が決まる」という現実を身をもって痛感した。この経験を通じて、自らの守備力や判断、チームとの連携の重要性を強く認識した。
試合後、西野は山口と対話を重ねるように。守備の立ち位置、相手の動きに応じた判断、試合の進め方など、細部にわたる確認を繰り返す。言葉にして理解を深め、練習で一つひとつ体現していく。その過程の中で、西野の個としてのレベルは着実に上がっていった。
また、練習や試合中には、あえて厳しい言葉を仲間に投げかけることもあった。「嫌われてもいいから、言おうと思った」
ボールから逃げないこと、プレーの一つひとつに責任を持つこと。甘さが見えた場面では、仲間に対してもはっきりと指摘した。求める基準を言葉にすることで、自分自身にも責任が生まれる。発言した以上、できていなければ意味がない。その状況を自ら作り出し、自分に負荷をかけ続けた。その結果、チームは2部優勝・1部昇格を果たし、ラストイヤーを迎えた。
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こうしてチームで信頼を集めた西野は、4年で副将に就任した。評価されたのは、スタメンとしてのディフェンス力だけではなかった。チーム全体を見渡し、仲間一人ひとりの状態に寄り添い、勝利という目標に向かって自ら動きながら周囲を巻き込む力──その姿勢こそが、副将としての評価につながっていた。
だが、副将として迎えた最初の公式戦で思わぬアクシデントが襲う。天皇杯予選の早稲田大戦で競り合いの中、相手FWの頭部が西野の頭に衝突。救急搬送され、診断は脳震盪だった。前年にも脳震盪を経験していたこともあり、「もうプレーできないかもしれない」という恐怖が頭をよぎった。
頭と首の痛みに日常生活さえままならない日々が続いた。それでも、西野の心は折れなかった。プレーできないからこそ、全カテゴリーの練習場に足を運び、仲間に声をかけ続けた。目の前の選手一人ひとりの成長に寄り添おうと、自らの役割を見つけていった。
「ピッチに立てなくても、チームのためにできることを探し続けることが、自分ができる努力の方法でした」その言葉通り、彼は選手としてだけでなく、チームを支え続けた。
迎えた大学ラストイヤーの大一番、早慶戦。仲間や支えてくれた人たちへの感謝という強い思いを胸に、西野は監督に「出させてください」と直訴し、ピッチに立った。西野にとって引退試合であり、集大成の一戦だった。
試合は激しい展開となった。西野は何度も相手のシュートをブロックし、守備でチームを救う。迎えた前半38分、念願の瞬間が訪れる。田中雄大(商4・成城学園/三菱養和SCユース・横浜F・マリノス)のクロスを迷わずヘディングで合わせ、先制点を奪ったのだ。スタジアムは熱狂に包まれ、長年の苦しみが一瞬で昇華された。
試合後、早慶戦MVPに選ばれた西野。その得点だけではなく、ピッチに立てず悔しさを噛みしめながらも、仲間のために考え、声をかけ、できることをし続けた日々、その努力のすべてが報われた瞬間だった。
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西野が大学サッカーで体感したのは、目標を高く掲げ、自分に挑戦し続けることで、努力は確かな成長につながるということだった。仲間と向き合い、何度も自分を問いながら歩んだ4年間は、結果だけではなく、姿勢そのものが彼の力を形作った時間だった。
ひたむきに努力を重ね、らしさを貫いた西野。この4年間で培った力は、未来への道標となり、これからもひなたを照らす光となるだろう。
(取材、記事:重吉咲弥)

