【連載】稲穂祭・早慶戦直前特集第1回 豊島悠×枝廣二葉 早慶主将代表対談 前編

應援指導部

稲穂祭・慶早戦直前特集として歴史・伝統ある両部を率いる早稲田大学応援部・豊島悠代表委員主将兼連盟常任委員(4年)と、慶應義塾体育会應援指導部・枝廣二葉代表(4年)のお二人に早スポ・ケイスポ合同でお話を伺った。早スポでの早慶主将代表対談は5年ぶりとなる。ケイスポでは、前編をお届けする。

後編はこちらから(早稲田スポーツ新聞会)

 

※対談は10月8日に行ったものです。

早慶トップ対談がついに実現した

 

ーー他己紹介をお願いします

枝廣:豊島はひとことで言うと「きょうじん」。2つの意味があって、「強人」で言うとこの応援部200人ぐらいの大所帯を1人でまとめあげ、リーダー部の下級生含めて20人ぐらいも1人でまとめあげるという意味で強い男だなっていう。応援席ではリーダー台に1人で立ち続け、1回から9回まで背中で見せる男かなと思います。ただ「狂人」という意味では、まず経歴。現在御年26歳かな。4浪で。マイペースでしゃべったり、性格もぶっとんでるけど、すごく仲はいいです。

豊島:枝廣はかっこいいです。代表として言葉で部をまとめているというか、言葉で人を動かす能力が凄いと思ってて、代表になるべくしてなった。結局選ばれるんですよ。人って。慶應の代表になるべくしてなった男です。

枝廣:上げてくれたな。

豊島:いやいやいや。そりゃそうでしょ。

 

ーー普段から仲が良いとお聞きしますが、実際どのくらい親しいのですか

枝廣:早稲田に同期がいない中で、ふと1個上の先輩から「やばいのが入ってきた。途中から」って言われて。レスリングの早慶戦で蝮谷に、顔は知らなかったんだけど「たぶんあいつだろうな」っていう1年部員がいて、「あの噂になっている方ですか」って聞いてみたら「そうです。私です」みたいな。自分でも分かってたみたいで。そのレスリングの早慶戦でお互い1年生として会ったのがきっかけで、応援とかでいろんな会場でも会うし、一緒に仕事もするし、連絡も取るしで。応援活動では敵だけど、応援が終わったら一緒に飯食ってみたいな。そういう仲です。

豊島:早慶戦となると戦友なんですけど、それが終わったら友情が芽生えます(笑)。戦友でありよき友です。

 

ーーお互いの好きなところ&直して欲しいところを教えてください

豊島:カップルみたい。

枝廣:な。

豊島:枝廣くんのいいところは、空気をつくるのがうまいなと。応援においても選手と交流も深いですし、知り合い同士だと選手もその分力が入ると思うし、そういうところを大切にしているところを、応援部員として見習いたいです。

枝廣:いいところは、人間としての深みが人と違う分、人が寄って来るんだよね。何もしてなくても豊島に人が集まって来るっていう。これは応援席でも豊島が前に立ったら全員が向くとか、そういうところにつながってて。だから豊島といると話したくなるというか、人としての魅力は自分よりも全然あると思います。直して欲しいところの方が多いんですけど(笑)、人が寄ってくるあまりマイペースなので。自分の軸を持っているので。あとLINEがけっこう変で、自分の送った文章に自分でリアクションするっていう。

豊島:それはチアがやってんの。「これでいいよね」で相手がグッドしたら、そこに自分もグッドすると了解のグッドになるわけ。グッドのグッドじゃん。

枝廣:でもさ、これでいいよねって送って俺がいいよって言う前にグッドする時もあるじゃん(笑)。まだLINE初めてほやほやだったときかな。

豊島:そんなこと無いだろう(笑)。

枝廣:LINEの使い方は直して欲しいところですね。

慶應義塾体育会應援指導部・枝廣二葉代表

 

ーーなぜ早稲田/慶應に入り、応援部/應援指導部に入ったのですか

枝廣:現役時代は早稲田の応援部に入ることだけを考えて早稲田、明治、立教を受けたんですけど全落ちで。慶應は小論文とかやってなくて受けれてなくて、浪人して時間に余裕ができて、小論文とか勉強して。六大学だけ受験して、って言っても東大は受けられて無いんだけど、5大学の各大学に受かって、早稲田と慶應どうしようかなとなって、学部で選んで慶應の文学部に決めて。その瞬間から自分は應援指導部に入ると決めてたので、(應援指導部に)入りました。

豊島:自分は医学部目指してたけど行けなくて、早稲田に入って。最初は部活に入ってなかったんですけど、普通の大学生していいのかなってことを思って。せっかく大学入ったら部活とかをやって、そこに捧げる大学生活もいいんじゃないかなというので、初心者でもできる応援部とか、ラクロスとか、ワンダーフォーゲルとかが候補にあって。でたまたま応援部の倉庫が開いてて、張り紙が貼ってあって。3分ぐらい見てたら出てきた人に「お前応援部入る?」って言われて、「入ります」って言って。今までと違う刺激的な毎日になると実感したので、ここなら大学生活4年間を捧げられると思って入りました。

枝廣:刺激的すぎるけどね。たまたまなんだね。

豊島:そう。だからそこで言われなきゃ、僕は入ってないです。しかも途中からなんで。最初は5人ぐらいいて、僕が入った時は1人ぐらいしかいなくて。意外とどういう人が残るかって分からないですね。

 

ーー入る前にどういうイメージを持っていましたか。また、実際に入ってみてどのように感じましたか

枝廣:入る前から應援指導部のことは知っていたから、ある程度厳しい世界だなとか、いわゆる大学生とは違うような生活を送るんだろうなと思っていて、そこに覚悟はあったので実際に入ってみてからのショックみたいなのはなかったですけど、慶應に関しては独特で、リーダー部がないっていうのもあって、そういういわゆる制限下の中で活動することへのショックは結構大きくて。あとコロナで野球応援も外野から始まったし、お客さんと一緒に肩組んでみたいなのは当たり前でなかった分、自分の思うようにはできなかったですけど、それでも先輩たちの尽力もあってどんどん応援席が復活していって、今は自分の理想とする応援席が作れていると思います。

豊島:自分は枝廣みたいには、どういうものなのかあまり知らなかったので、正直分かってなくて。でも世間一般的に厳しい・きついっていうイメージはありました。それで入ってみて、これはきついぞと。これなんだ、みたいな。予想以上に、甘かったです。

枝廣:最初の練習が合宿だっけ。

豊島:2回くらい練習して、合宿がほぼ最初の練習。しかも浪人していたし‥。でも今ここに来れたので、感謝しています。

早稲田大学応援部・豊島悠代表委員主将兼連盟常任委員

ーー初めて会った時の印象(豊島→枝廣)

豊島:いい子っぽいなっていう。今とあまり変わらないですけど、気さくに話しかけてくれて。いつも通りのいい関係でいれていると思います

 

ーー1、2年生の頃はどう過ごしていましたか

枝廣:若き血とか、チャンスパターンとか、実際に自分がやってみるっていうのは、右も左も分からない状態で始めたから1個ずつ覚えるのが大変だったし、しかも野球応援だけじゃなくて色々な体育会の試合に行って、それぞれの部活に合わせた応援をしているから、そこに難しさもありながら、面白さもあって。1、2年生の間はどうしても必死でしたね。その中で上級生の背中を見ながら自分もこうなれたらいいな、と思って毎日過ごしていて、同期とも仲良くなれたし、2年生になったら後輩もできたりして。部の一体感というか、一つになって色々応援を作り上げることの楽しさを感じながら、1、2年生は過ごしていました。

豊島:1年生の頃はとにかく、右も左も分からず。この練習を乗り越えた上級生って何者なんだっていう。4年生になって、3年間乗り越えた場所に辿り着きたいという思いで頑張っていました。

 

ーー3年生になって役職に就くようになった中で、どんな意識の変化がありましたか

枝廣:1、2年生の時は部についていくのが必死だったんですけど、3年生になると部を回す側になるので、夏合宿の塾注でも言ったんですけど、この部活を回す大変さを3年生になって初めて知って。応援一つとっても準備に物凄く時間がかかるし、相手部とのやりとりもあるし、応援システムを作り上げるし。そういうのを始めるのが3年生だから、それこそ先輩たちってすごいなっていうのを思いました。でもやってきてもらった分、自分たちもやらなきゃいけないなと思いながら、大変な仕事も同期と協力したり、早慶戦の時には早稲田の同期と協力したりして、一つになって頑張りました。

豊島:3年生は台の上に立ってお客さんを引き立てるんですけど、そういう機会をいただけるというところで、どうすればよりお客さんが盛り上がるのか考えたり、自分がそこで恥ずかしがらずに声を出すというところとか、3年生になってから非常にいい経験をさせてもらったなと思います。

枝廣:できることも増えるしな。

 

ーー3年生になり表舞台での仕事が増えた中で、1年生の時と比べてお互いの姿をどのように見ていましたか

豊島:あまり変わらないです。いつもできてるので(笑)。

枝廣:色々な仕事を1人で全部やるっていうのが本当にすごいなって思っていましたね。

豊島:慶應はマイクとかを始める時期が早いんですよ。慶應は2年生でうちは3年生からで。だから(慶應は)喋るのもうまくて。いつも(慶應の)良いところは真似しろって言っていますね。

 

ーー代表・主将になった経緯を教えてください

枝廣:自分で立候補してなるような役職ではなく、自分たちで投票して決める役職なので、自分が代表になった時は、選んでくれた人からの期待や同期からの期待とか責任を背負って、これから1年頑張りたいなと思いましたね。

豊島:自分がなるしかなかったですが(笑)、発表の時はドキドキしていましたね。自分か自分じゃないか。必ずなれるとは思っていなかったので。発表された時は、身が引き締まる思いでした。

 

ーー早稲田と慶應はどんな関係ですか

豊島:良き友?

枝廣:友達でいいの(笑)?

豊島:良き戦友です。

 

ーー早慶戦はどのような存在ですか

枝廣:早慶戦って「特別」で。しかも塾生だから、早稲田の学生だから味わえるイベントだし、応援をつくる側も早慶戦ができていることへの感謝みたいなものは思っていて、全国の2校しか味わえない特別な舞台だと思っていますね。

豊島:早慶戦で偏差値が上がってるんじゃない? 

 

ーー相手の攻撃時に聞く『若き血』、『紺碧の空』は、どのような気持ちになる?

枝廣:そりゃもう、できる限り聞きたくないでしょ(笑)。

豊島:たまったもんじゃないよね…。

枝廣:守備中に聞く『紺碧の空』は脅威でしかない。しかも早稲田は2番まで歌うこともあるので長く感じるし、聞いたら聞いただけ『若き血』歌いたいなって滾りますね。

 

ーー相手チームの好きな応援歌は?

豊島:俺あれが好きだな、今年のファンファーレ!

枝廣:俺もファンファーレ稲穂。7回のエールが終わった後の。

豊島:あとはフェニックス。

枝廣:ダイナマイトマーチもいいよなー。

 

対談は次第に、主将・代表としての責任、チームづくり、そして慶早戦への想いへと移っていく。続く後編では、二人が掲げるスローガンや、夏合宿、そして“最後の慶早戦”への覚悟に迫る。

 

(取材・編集 : 早稲田スポーツ新聞会 土橋俊介、慶應スポーツ新聞会 岩切太志、工藤佑太、小野寺叶翔、中原亜季帆)

 

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