11月2日、勝てば2部優勝、1部昇格が決まる最終節を迎えたソッカー部女子。チームの悲願が達成されれば、4年生にとっては大学サッカーラストマッチとなる。ケイスポでは、最終節を目前に控えた4年生のご家族にインタビューを行い、お話を伺った。第1弾は、中村美桜(理4・慶應湘南藤沢)選手のご両親。メンバーを集めることから始まった高校時代。そして、キーパー転向の決断を下した大学時代。どんな環境でもベストを尽くしてきた美桜選手への、ご家族の想いに迫る。
(このインタビューは11月2日の最終節の試合前に行いました)
――サッカーをするお子さんを育ててこられた中で、高校までの印象に残っている出来事やエピソードを教えてください。
お母様:美桜は、小学生からサッカーを継続していたのですが、(慶應湘南藤沢中等部から)高校に入ってほとんどの部員が辞めてしまう中で、彼女が友達を誘い込み、初めてサッカーをやる子たちを集めて女子サッカー部の人数を増やしていきました。サッカー未経験の子には1からサッカーのことを教えて、朝練にも誘って自主練を重ねて、なんとかして底上げをしようと努力をしていた3年間でした。そんな中でも、絶対に諦めずに、みんなを引っ張る立場でありながらも一番練習をする姿を見せることで、チームメイトのモチベーションも上がり、チーム力も増していきました。人を変える力がある子だということをすごく感じました。
お父様:小学校の時はシンガポールでサッカーしていたのですが、男女500名超のチームで、初めての女子キャプテンとなってチームをまとめたり、スウェーデンのGothiaで開催されたユースワールドカップにシンガポール代表チームのメンバーとして出場し世界2位になったり、夢中でサッカーをしていました。小4の女子小学生から、誕生日プレゼントにサッカーシューズが欲しいと言われた時は驚きました(笑)。中高は部員が少なく、サッカー経験者がほぼいない、初心者中心のチームでしたが「ここでチームを作るんだ」と頑張り、練習メニューを考えたり皆にキックの方法を教えていたのが印象的です。
――サッカーのみならず、学校生活の中で努力されていた事で、印象に残っている出来事やエピソードを教えてください。
お父様:高3の時に体育祭の実行委員をやって、夜中まで走り回って準備に奮闘していたことが印象深いです。コロナ禍で、様々な学校で体育祭は中止、SFCも各種学校行事が中止になる中で、「体育祭だけはなんとしても実現させたい」と燃えており、そもそも開催の許可がとれるのか、もし行う場合はどのようなリスク対策をとるのか、様々なシミュレーションをして学校関係者に説明し、なんとか開催の許可を取り付けていました。無事に開催でき、友人達から「コロナ禍での疲弊が続いていた中で、久々に学校の一体感を感じ、最高に楽しかった」などと喜んでもらえたようで、美桜も「実現できて感激、たくさんの笑顔が見られた。一緒に準備を重ねてきた実行委員メンバーに感謝」と話していました。卒業式で、部長賞という6年間の学校生活のMVPのような賞をいただき、美桜の尽力が学校からも認められたことに驚いたとともに、「自分が尽くすことで、人の笑顔を見られることの楽しさ」「徹底的な準備でやり抜くことの重要性」など、貴重なことを教えていただいたと感じました。
――大学サッカーでの4年間で印象に残っていることを教えてください。
お母様:とにかく忙しくて、かつ理工学部というのもあったので、朝昼晩無駄な時間は1秒たりともない4年間だったと思います。朝は5時に起きてから家を飛び出して、夜は10時から11時くらい帰ってきたら、夜ご飯を猛烈に食べながら、PCで主務の仕事や学校の課題をこなしつつ、脇でYoutubeも見て…と、ものすごい勢いで色々なことをやって、こっちが話しかける隙もないくらいでした。気づいたら食べながら寝ていることもあって、赤ちゃんみたいで(笑)。そんな生活の中でも友達と遊んだり、バイトも入れたりと、時間のやりくりがほんとうにすごいなと、超人だなと思っていました(笑)。体力がものすごくあったと思います。
お父様:印象に残っていること、たくさんありますね(笑)。入部当初、全国大会に出場していたような周囲のメンバーとの実力差を痛感して徹底練習していた頃のこと、小学生時代にスタンドから観戦して憧れだった早慶戦に、大学1年で初めて出場した時のことなどは、鮮明に覚えています。一番印象に残っている事は、ターニングポイントだった3年時のキーパー転向ですね。チームの中で、フィールドメンバーの誰かがキーパーへ転向する必要があり、3カ月以上の話し合いでも決まらず、「推薦対象として自分の名前が挙がっている、どう周囲を説得すればいいか」と家族にも話していました。実を言うと、私自身は「チームから求められているポジションがあるのは幸せなこと、思い切ってチャレンジしてみれば」と話したこともあったのですが、妻や美桜は「(キーパー転向なんて)何を言っているの。そもそもキーパーは練習を含めて全くやった事ないし、やっても大量失点で迷惑かけるし、周囲を説得する方法を考えて」という感じでした。最終的に引き受けることになってからは、目の色を変えて、どうやったらシュートを止められるんだと考えて、左側へのジャンプが課題だったので、(美桜選手は右利きだが)箸を左手で使って食事をしたり、ハイボールを捕れるように、野球のフライ捕りの練習を公園で一緒にしたり、授業で忙しい中でも週6日の女子部練習や居残り練習、朝練に加えて男子部の練習にも参加させていただいたり、驚くくらいやっていました。親身に教えてくださったコーチの方々のおかげでセーブもできるようになってきた中での、等々力スタジアムでの早慶戦でのファインセーブは強く印象に残っています。応援に来てくれた方の声で手が伸びたと話してましたが、支えていただいた関係者には本当に感謝しています。

2年から3年に上がる際にキーパーに転向した美桜選手 早慶戦ではフィールドとキーパー両方で出場する快挙(写真は24年の早慶戦)
※美桜選手のキーパー転向に悩んだ「葛藤のブログ(3年時)」と、やってみた結果の「答え合わせのブログ(4年時)」はこちらから!
『尽力』(3年 中村 美桜) 慶應義塾体育会ソッカー部女子net
答え合わせ(4年 中村 美桜) 慶應義塾体育会ソッカー部女子net
――この4年間で美桜さんの成長を一番感じているところはどんなところですか。
お父様:「やるとなったらやりきる」という点は、キーパーへの挑戦のみならず、主務としても限られた費用での遠征のために、チケット手配を代理店に依頼するのをやめ、品川駅に1週間で5回以上通い、切符の受け取り、急遽参加できなくなったメンバーの払い戻し手続きをしていたりもしました。“徹底ぶり”というところは、チームの中で貴重な経験をさせていただき、成長に導いていただいたと感謝しています。
お母様:以前から得意なことを伸ばす能力は長けていたと思いますが、キーパーのような苦手なことや、やってこなかったことにトライさせてもらって、自分の力に変えられるようになったことが、ソッカー部で得た一番のものだと思います。
――最終節では美桜さんのどんな活躍を見たいですか。
お父様:美桜のファインセーブを見たい気持ちもあるのですが、とにかくチームの勝利が最重要なので、ビルドアップからのパス回しでもどんな形でも良いので勝利に貢献して、1部昇格という先輩たちから受け継いだ目標を実現させて、後輩たちが来年からインカレを目指せるよう、頑張ってほしいと思います。
お母様:キーパーに転向してから、120%彼女はやりきったと言っていました。でも試合になるとキーパーは孤独で、得点してみんなで喜んでいる輪に入ることができないこともあって、客観的にしか見られないところがあったので、最後は心から喜んで、仲間と一体感を感じて終わってほしいと思います。
――最終節に臨む美桜さんへ、メッセージをお願いします。
お父様:全力でやり切れ!
お母様:キーパーになってから、チームだけでなく男子部の皆さんにも沢山支えていただいたので、感謝の気持ちを体現して優勝をつかんでほしいと思います。
迎えた、大学最後の試合のキックオフ。
チーム唯一のキーパーの美桜選手。今季は離脱なく全試合フル出場を続け、最終節もスタメン出場となった。試合は前半から慶大がボールを握る中、フィールド経験を活かした正確なビルドアップで、11人目のフィールドプレイヤーとしても貢献していく。

30分、ゴールほぼ正面からミドルシュートを浴びる。飛んできたコースは、元々は得意でなかった頭上。しかし、素早く軌道を読むと、練習し続けてきたジャンプでタイミングをばっちり合わせ、難なくセーブして見せた。

大量リードで迎えた後半、ついにタイムアップのホイッスルが。先輩たちから受け継いだ1部昇格の目標を実現させた。美桜選手は、共にゴールを守ってきた同期のCB・小熊藤子(環4・山脇学園/スフィーダ世田谷ユース、RB大宮アルディージャWOMEN内定)選手と抱き合うと、歓喜の輪に加わり、笑顔を見せた。

同期の坂口芹選手と喜びを分かち合う美桜選手


苦楽を共にしてきた同期と
黄大城監督も「彼女の凄まじい成長ぶりと努力があったからこそチームの努力の基準が上がった」と評した美桜選手の大学サッカー人生。その姿を間近で見てきた後輩たちが、美桜選手が叶えられなかったインカレ出場の夢に向け、さらなる努力を重ねる。
黄大城監督のインタビューはこちらから!
【ソッカー(女子)】2部優勝&1部昇格決定インタビュー!黄大城監督 | KEIO SPORTS PRESS

美桜選手が全てを捧げてきたソッカー部での生活も、終わりを迎える。卒業後も、どんな逆境を迎えても乗り越え、最後までやり切る姿勢で、社会へと旅立っていく。
(取材:柄澤晃希)

