【野球】2度の怪我を乗り越え神宮で輝いた4年間 意地の一発で示した成長の証/4年生卒業企画「光るとき」 No.30・森村輝

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25年度に卒業を迎える4年生を特集する特別企画「光るとき」。第30回となる今回は、野球部の森村輝(総4・小山台)。3年春季開幕戦でリーグ戦初出場をつかみ取ると、正捕手として7試合に出場。その後は2度の怪我に悩まされながらも、最上級生となった昨季に主に代打や一塁手として、キャリアハイとなる8試合に出場した。持ち前の思い切りのいい打撃で幾度となくチームの雰囲気を変えてきた森村にとって、慶大野球部での4年間とは。

 

森村が慶大を志すきっかけとなったのは、小山台高校野球部の先輩であり、当時慶大野球部のマネージャーを務めていた赤松尚範さんの一言だった。

「慶應はいい所だぞ」

内部進学組だけでなくAO入試や一般受験など外部からも多くの選手が集い、“日本一”を目指すことができる慶大野球部。その環境は森村にとって受験期を支える大きな原動力となった。猛勉強の末、サクラサク。晴れて慶大総合政策学部に合格し、憧れの慶大野球部の門をたたいた。

 

だが入部直後、いきなりレベルの高さに直面する。内部進学組とのバッティング練習では、体格に恵まれた常松広太郎(政4・慶應湘南藤沢)や今泉将(商4・慶應)はもちろん、二宮慎太朗(商4・慶應)や小堀政泰(商4・慶應)といった比較的小柄な選手までもが、スタンドへ柵越えを連発。また高校時代までは授業後17時までだった練習が、大学に入ってからは8時前から17時までと一変。入部2か月で体重は5キロ減少した。それでも森村はリーグ戦で活躍することを目標に、必死に食らいついた。

すると1年時で春秋ともにフレッシュトーナメントに出場。春季フレッシュトーナメント東大戦では「7番・指名打者」で先発し、大学初打席でいきなり適時打。チームのコールド勝利に貢献する鮮烈なデビューを飾ると、2年の春季フレッシュトーナメント決勝・明大戦では代打で二塁打を放ち、勝負強さを発揮。秋季リーグ戦では明大1・2回戦を除く試合でベンチ入りを果たすなど着実に力を示していた。だが当時正捕手だった宮崎恭輔(令6環卒・國學院久我山)の壁は厚く、このシーズンのリーグ戦出場は叶わず。続くフレッシュトーナメントでもベンチ入りは果たしたものの、出場機会はゼロ。「実力がなかった」と冷静に分析しつつも「結果に納得ができなかった」森村は反骨心を胸に、冬場に鍛錬を重ねた。

勝負の3年春。吉開鉄朗(新商4・慶應)とのし烈な開幕マスク争いは、鹿児島キャンプから始まり、リーグ戦開幕直前までもつれ込んだ。そんな森村にある転機が訪れる。3月28日の国際武道大とのオープン戦。森村は2日・中央大戦以来となる先発マスクを任されると、守っては先発・渡辺和大(新商4・高松商業)ら4投手を無失点リード。打っては勝ち越し適時打を含む2安打と快音を残し、チームの連敗を6で止めた。

さらに翌日の日大とのオープン戦でも先発出場すると、チームは2-5で敗れたものの、唯一の3安打猛打賞。2試合連続で打点も記録し、勢いそのまま社会人対抗戦、春季リーグ開幕スタメンに抜擢され、悲願のリーグ戦初出場を果たした。「打席では緊張で地に足がつかなかったが、守備では落ち着けた」と当時を振り返り、カードを消化していく中でキャッチャーとしてのスキルに課題を残しつつも、強打の捕手として経験値を積み上げていった。

しかしその一方で、右肘の状態が試合を重ねるごとに悪化。立大2回戦での二塁送球が決定打となり、「右肘肉離れおよび靭帯損傷」で全治4か月の診断を受けた。当時チームは5勝1敗、勝ち点2で優勝戦線を走る中での離脱。森村にとっても「1年間キャッチャーとしてシーズンを完走できなかった」という悔いが残った。

 

そして最高学年になっても、森村に試練は続く。年始に骨折が判明し、春季鹿児島キャンプに帯同できず。それでもリーグ戦開幕2試合前になんとかチームに合流し、1勝1敗で迎えた春季明大3回戦。8点を追う9回2死無走者、零敗ムード漂う場面に代打で森村がコールされた。「あの打席立つまで1回も打席に立ったこともなかったんですけど、逆に落ち着いて打席に入れました。三振だけはしないようにしようと思って」とカウント2-2から大室亮満(新文3・高松商業)が投じた6球目を強振。打球は左翼スタンド中段へと吸い込まれ、リーグ戦初本塁打を放った。

「あの打席は僕としても1本のホームランとして記憶に残っているし、その後の1年間の僕の立ち位置を作れた」

その後主に一塁手や代打として、森村は春秋ともにキャリアハイとなる8試合に出場する。最初で最後に放った意地の一発は、4年間で培った“明確な取捨選択”という成長を、確かな結果として刻んだ瞬間でもあった。

4年間を「同期愛にあふれた」仲間たちと過ごし、日々練習を重ねてきた森村にとって、慶大野球部は「第2の家」だ。特に小山台高校から慶大野球部と7年間をともに過ごした木暮瞬哉(法4・小山台)とは高校時代からバッテリーを組み、深い信頼関係で結ばれている。だからこそ「木暮の良さは一番わかっているので、僕がキャッチャーをやって木暮の良さをもっと引き出してあげられたら、4年秋にはもっといい活躍ができていたのかなと思う」と申し訳なさをにじませつつも、「7年間ありがとう」と感謝の想いを口にした。

現在慶大野球部には栗林兼吾(新法4・小山台)ら4名の小山台高校出身者が在籍。「もちろんリーグ戦に出場して活躍してほしいのもありますけど、大学野球は神宮で活躍することだけが全てではないと思っています。小山台高校で培ってきたことを、野球の上達でもいいし人生の今後のヒントとかなんでもいいけど掴んで、高校の教訓でもある“毎日を全力で生きてほしい”」と後輩へエールを送った。

森村は卒業後、社会人として新たな道へ進み小学1年生から続けてきた野球人生に終止符を打つ。かつては野球をすることに否定的でありながらも、最後まで背中を押し続けてくれた両親へ「これからは少しずつ恩返しをしていきたい」と前を向く。次は社会人として、どんな舞台で輝きを放つのだろうか。一ファンとして期待したい。

(取材、記事:加藤由衣)

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