【バレーボール(男子)】何度も悔しさを味わった僕だからこそできること 模索した新しい主将の形/4年生卒業企画「光るとき」 No.42・山元康生

バレー企画

コート、ベンチ、ベンチ外、どんな場所にいてもチームのために動き続けた。山元康生(法4・慶應)は1年生の春季リーグ戦という早い段階から実戦に抜擢されたが、その後はスタメンやベンチから外されるといった苦い経験を幾度も味わった。試合に出られない悔しさを胸に「コートに立ったからこそできるチームへの貢献は何だろうか」と考え続け、そのひたむきな姿勢は意識しないうちにチームに良い影響を与えており、遂には主将に選ばれる。歴代の主将と比較して自身の主将像に不安を覚えたことも数えきれなかったというが、その誠実さこそが彼が主将に選ばれた所以だろう。悔しさや付きまとう不安を糧にして飛躍した大学時代。プレーヤーとして、主将として駆け抜けた4年間の軌跡をたどる。

 

早くも試合出場を果たした大学1年生時代 

 私は約3年間の取材を通して、山元選手がコート内やベンチ、時にはアリーナから仲間の士気を上げる熱さを伴いながらも試合を俯瞰した的確な声掛けを行っている姿を常に目にした。彼が声援を掛ける居場所はリーグ戦ごとに変わったものの、熱さと冷静さを兼ね備えたその姿は常に一貫していた。山元は慶應中等部からバレーを始めて進学先の塾高でも競技を続けた。人格の面などいちスポーツマンとしての基礎的な土台の部分が形成された中等部時代と異なり、高校・大学はバレーボールの高い技量が求められた。入学前の3月から練習に参加し、大学の部活は「とにかく役割が明確なことが特徴で、実力主義でありつつ、一人一人がしっかりと自分の領域で活躍している人が多い印象」を持ったという。周りの高いレベルにくらいつき山元は晴れて1年生の春季リーグ戦にて開幕3戦目の試合から出場を果たす。1年生ながら先輩に交じりコートに立った春季リーグ戦は「本当に目の前のことにがむしゃらで周りも全然見えず、一試合、一つのプレーに本当に命を削ってやっていた」という。

 

コートに立てないからこそ 

 中盤から起用された春季リーグ戦は閉幕まで出場したが、夏休みを挟んだ後の秋季リーグ戦では起用を見送られてしまう。スタメンから外れるというこれまで経験したことがない事態に直面し、これにはどうしても動揺を隠せなかったという。しかし気持ちを切り替えてこれまで以上に練習に励みつつ、山元はリーグ戦で試合に出場したという立場を活かしたチームへの貢献の仕方を模索する。悔しい気持ちはありながらも「自分に貢献できることは何だろうとか、また違う立場でいろいろ考えた1年間だった」と前向きな気持ちでいるようにしたと振り返る。コートで実戦を経験した自分だからこそできる、同期へのアドバイスやコートに立つ先輩たちへの声掛けがあった。さらに一層自身のプレーへのこだわりを持てるようにするべく、先輩や後輩に付き合ってもらいながら日々1~2時間もの自主練習に励み、試合で活躍できる技量の獲得に「時間も頭も使った」。ひたむきな努力は確実にプレーの向上につながり、2年生の春季リーグ戦にはスタメンとして出場し、リーグ戦最終日の入替戦にも出場すると1部リーグ残留に大きく貢献することとなる。
 3年生になると試合に出ない時期が再びでき始め、コートに立てずチームへの貢献方法を模索した1年生後半の記憶がよみがえった。1年生の頃と同様に試合に出場していた経験を活かした声掛けなどに全力を出しつつ、3年生になってからは組織運営という大局的な視点も意識するようになる。同期とともに「4年生が補えてない部分について、メインではないにしても見えないところで組織の運営を一部助けるような役割を意識してやっていた」という。1年生から3年生にかけてスタメン、ベンチ、ベンチ外全てを経験した山元だからこそできる、組織における重要な役割があったのだ。

大学2年生の春季リーグ戦にスタメンとして出場

 

主将を務めた大学4年生 

 上の代が引退し、いよいよチームを引っ張る代となったが、その中でも山元は主将を務めることになる。慶大バレー部の主将はスタメンとしてコートでチームを指揮する選手が主だったが、この頃の山元は試合に出場しないことも多かった。概して塾高で主将を経験した選手が就任する主将というポジション。歴代な主将と比較して塾高で主将でもなければ試合に出場しない主将という姿を自身の中で受け入れられない日々が続き、試合に出ていないが故にチームに指示を与える立場にいていいのかといった不安や、言動一つで後輩がついてこなくなるのではないかという不安とずっと隣り合わせでいた。この際に活きたたのがまたしてもスタメンから落ちた経験だった。試合に出られないからこそ自身の役割を模索した1年生から3年生にかけての日々を思い出し、試合に出ないからこそどう主将としてチームの勝利に貢献できるかを模索し始まる。
 山元は1年生ながら試合に出ていたこと、スタメンを外されてベンチにいたこと、さらには怪我でベンチ外になったことなど主将就任までに様々な場所から試合を戦ってきた。コートに立つ時とは「本当に見える景色が違う」という経験をした山元だからこそ気付けることも多く、主将としては「(コート外の選手も含めて)それぞれの選手がどういったマインドで今向き合ってるのかなという点は本当に細かく察知をしてコミュニケーションをとって、全員を一つの方向性に持っていくために声掛けを含めて力を入れた」という。一方でプレーヤーとしてもワンポイントレシーバーやサブリベロとしてコートに立つ際には、「自分自身がこれまでしてきた経験をワンチャンスで発揮できるかという点にこだわりを持ってやっていた」として、ここにも自身の経験を最大限に活かそうとする姿勢が見える。「スポーツは経験がものを言う世界だと思う」と語るように、経験こそが自身の大きな武器だと自認していたことが分かる。

 

部内随一の「言語化する力」 

 コートに立とうが立てまいが自身の経験を最大限に活かそうという主将としての模索は「ようやく一年間の最後になって形が見えてきた」と振り返る。山元は最後まで自分自身の行動をしっかり見せた上で、どういう組織でありたいか、そのためにはどう行動してどのような個人になってほしいのかという自身の理想を伝え続けることを惜しまなかった。彼は試合後のインタビューをお願いする際にはいつでも自身の考えとチームの現在地を俯瞰し、自らの言葉でよどみなく語ってくれる。チームメイトに対しても自身や仲間の考えを言語化してすり合わせることで、全員が同じ方向を向けるように尽力し続けた。

 

理想論ではない「誰も置いていかないチーム」 

 1年生から主将として過ごした4年生の間まで一貫して持ち続けた信念を問われると、「誰も置いていかない組織を作る」ことだと答えた。「一人一人がしっかりと目標に対してのモチベーションや意識が高く、目標に対して真正面から向き合える組織」作りを目指したのは勝利のためだけでなく、それが「最後は一体感につながると思っていた」からだった。練習日が多い上にプレーのレベルも高いという厳しい環境において誰も置いていかないチームを実現すべく、スタメン・ベンチ・スタッフらと万遍なくコミュニケーションを取り続けたが、これも山元だからこそ実現できたチームのマネジメントだった。「40人ほどの組織をどう運営してまとめていくかというマネジメントスキルはバレーボール部なりのものは養えたのかな、成長できたのかなと思う」と語る。

仲間を大切にする山元のもとで自然とチームは一つにまとまった

 

支え・支えられた同期 

 同期仲については「大前提めちゃめちゃ仲が良い」と嬉しそうに語り、この仲の良さは後輩にも伝わりチームの絆を深める上で良い効果をもたらしていたという。一方で先輩や後輩から学ぶことも多かったと言い、スポーツマンとしての勝負事へのこだわりは他学年を見習うことが多かった。山元は二者択一ではなく、勝利のために必要なことを気兼ねなく言い合う関係と心を許し合える仲の良さ、双方が共存し合う形を模索した。バレーに打ち込んだ大学4年間は「やりきった感が強く、本当にかけがえのない時間だった」と振り返る。4年間の歩みを「(同期も含めた)仲間との関わり方の面で自身は成長できた」と総括した言葉には、プレーヤー、そして主将として仲間を愛し、また仲間から愛された彼本来の姿が凝縮されていた。

 

慶大バレー部はここが変?! 

 法学部・法律学科に通いながらも悔しさをバネに誰よりも真剣に練習に向き合った山元は、まさに文武両道を体現した人物といえるだろう。慶大バレー部は原則として授業日には18時頃から夜練習を行い、さらに休日のうち1日は練習があるため1週間の中で6日間が練習日である。そして夏休みなどの長期休暇期間に入ると、午前練は10時から午後練は15時からとさらにバレーボール漬けの日々を過ごすことになる。そんな中で他の部と比較して一風変わった文化だと思うのが、慶大バレー部の有給制だという。バレー部の中では試験期間に限り独自の有給があったのだが、なんと与えられる休みは3日間のみ。ただでさえ少ない上に、法学部・法律学科に通う山元は他学部・学科に通うチームメイトと比べても圧倒的に試験数が多く、「試験数に対する有給の数が少なすぎた(笑)」と語る。もちろん今となって笑い話として語ることができるのは多忙な中でも無事に単位を取ったからこそであり、ここに山元の努力があってこそのことだろう。

文武両道を体現し、晴れて卒業を迎える

 

ケイスポとの思い出 

 下級生の頃からリベロとして試合に出場しており試合後インタビューや、主将としては早慶戦記念企画などをはじめとした特別企画などこれまで数多くの取材を受けていただいた山元選手。手前みそながらケイスポとはどのような存在だったかを伺ったところ、現役時代はケイスポのバレーボール記事に一通り目を通し「この人(チームメイト)はこう考えてたんだ、監督はこう解釈してたんだと新しいことに気付かされることも多」く、「自分自身も喋ってて思考が整理されていくことが多いので対外に発信するという目的はもちろん、自分たちに向けたメッセージ性もすごく大きかった」と振り返った。山元が特に印象に残った取材として選んだのが、ソッカー部男子副将(当時)の角田惠風選手(商4・慶應)との対談企画。2人は元々親交があり、この対談の実現はとても嬉しかったそう。

塾高出身の2人は2025年6月に対談企画を行った

 一つケイスポへのお願いは「もっとリベロにも注目してほしい!」とのこと。試合後のインタビューにはどうしても目立って見えるスパイカーが選ばれることが多くリベロに声が掛かることが少ないため、後輩のリベロと「今度こそは取り上げられるように頑張ろう」などとモチベーションになっていた面もあるという。取材時にはいつも丁寧にチーム全体の動きと自身の考えを言葉にして表現してくれる山元だが、その裏にある彼なりの熱い想いがうかがえた。

 

山元選手についてもっと知りたい!

――引退して時間ができてからは何をしてますか?
山元:ゴルフを始めてみました!初挑戦です(笑)あとは友達とご飯行ったり家でゆっくりしたりがメインではありつつも、卒業旅行も含めて遠くに行ってみるとか、時間ができたことで色々なことに手を出してます。一個ストレスなのが英語で・・入社に向けて勉強しているところです。

――意外とお家でゆったりと過ごすことも多いのですね!
山元:家でたくさん寝てますね。いつも午前中は寝てるので「午前中から活動したい!」と思った時は、今日のように予定を入れて強制的に起きるようにしてます。今まで週 6で 練習があってほぼ毎日絶対外に出ますし、唯一のオフなんて遊びたいに決まってるので家でゆっくり過ごすことはなかったんです。引退してから思うのは一歩も外に出ないみたいな日を作って家でダラダラするのも意外とありだなと。

――「ケイオウユ」のこと聞きました!
山元:日吉記念館の近く卓球場の施設にあるミニ銭湯ですね(笑)記念館の前の自販機でマッチを買って、みんなでお風呂に入った後に乾杯して飲むという。そこは選手が密にコミュニケーションを取る場でめちゃめちゃ良かったですね。僕もチームメイトと平気で1、2時間入ってましたね。

 

山元選手、ご卒業おめでとうございます!

(取材・記事:五關優太)

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