25年度に卒業を迎える4年生を特集する特別企画「光るとき」。第70回となる今回は、蹴球部の今野椋平(環4・桐蔭学園)。入部前から将来を嘱望され、1年生の春シーズンから黒黄ジャージーに袖を通した今野は、ラストイヤーにその実績を買われ主将に就任。「日本一」を目指したチームを最前線で引っ張った。チームのために全てを尽くした今野の知られざる苦悩とは。そして、楕円球との生活に終止符を打つ決断を下した理由とは。今野のラグビー人生を紐解く。
「兄」の背中を追いかけ
ラグビーとの出会いは5歳の頃だった。「母がラグビーの大ファンで、物心つく前にはラグビースクールに通っていた」と語る今野は、あっという間にラグビーの虜となった。桐蔭学園高校2年時にはチームのキッカーとして花園制覇に貢献し、3年時にも副将としてチームを花園ベスト4に導いた。高校3年間でSO、CTB、WTB、FBと様々なポジションでプレーした今野は、世代屈指のユーティリティBKとして高校日本代表にも選出された。
「幼い頃から早慶戦を観戦し、どちらのチームであっても、必ずこの舞台に立ちたいと考えていた」という今野に慶大蹴球部への入部を決意させたのは、今野の幼稚園時代からの幼馴染で、慶大蹴球部の125代主将を務めた中山大暉 (令7環卒・桐蔭学園)だった。「中山先輩に色々話を聞く中で、慶應でラグビーがしたいと思うようになった」。今野は、幼少期から兄のように慕う中山の背中を追いかけるように黒黄軍団に加わった。
世代屈指のユーティリティBKは1年目からその実力を発揮した。春季交流大会2戦目となった流経大戦にFBとして先発出場するなど、春シーズンからAチームに食い込むと、9月の秋季対抗戦開幕節・日体大戦ではWTBで対抗戦初出場・初トライを記録。最終的に対抗戦の7試合と大学選手権の2試合全てにメンバー入りを果たし、鮮烈なデビューシーズンを送った。
今野はその後もインパクトを残し続けた。2年時にUー20日本代表に選出され、3年時にはインサイドCTBに転向し、BKリーダーとして主将に就任した中山を支えた。

「人生初」の主将就任
ラストイヤーを迎えた2025年、今野はこれまでの実績を買われ、126代主将に就任した。「人生で初めて主将という立場を任されて、自分がどういうリーダーになるべきか、何も分からないところからスタートした」と振り返る。今野がまず取り組んだのは意識の改革だった。近年掲げてきた大学選手権ベスト4という目標を「日本一」へと上方修正。花園や世代別代表で結果を残してきた男は、あくまでも頂点奪取にこだわった。
しかし、春シーズンは苦労の連続だった。今野自身は春季交流大会2戦目の筑波大戦以降、負傷の影響で1か月以上試合に出場できない日々を過ごした。ぎりぎりまで状態を見極めたが、当日変更でメンバーを外れた試合もあった。交流大会の最終戦となった青学大戦で復帰を果たしたが、この試合で慶大は敗戦。「日本一」を目指す中、個人としてもチームとしても重苦しい雰囲気の中で春シーズンを締めくくった。
青学大戦後のインタビューで「自分たちの強みを明確にしないと強い相手に勝てない」と危機感を募らせた今野は、より一層本気でラグビーに打ち込み、部全体を巻き込みながら鍛錬を積んだ。試合前のルーティーンとして共にサウナを訪れるほど仲が良かった盟友・小舘太進(商4・茗渓学園)は「4年間で1番風通しの良いチームだった。学年を越えてチームの勝利のために団結できたのは椋平の明るい人柄のおかげ」と今野を称えた。
「日本一」という高い目標を達成するべく、今野は「One for All」の精神で仲間たちに強い想いを伝播させた。そんな今野に呼応し、仲間たちも「All for One」の精神で今野を支えた。「普段はポジティブな性格だが、この1年は悩んだり落ち込んだりすることも多かった。そのたびに多くの人に支えられた。自分のためだけでなく、支えてくれる人たちのためにラグビーをしているのだと改めて実感した」と今野は振り返る。

貫き通した「チームのため」
春シーズンは怪我に苦しんだ今野だったが、秋季対抗戦では12番のジャージーを身にまとい全試合にフル出場。アタックではチームを指揮する司令塔としてチームをけん引し、ディフェンスでは183cm/90kgの体格を活かした「魂のタックル」で相手を食い止めた。
チームも開幕節で青学大にリベンジを果たすと、強豪の明大や筑波大に対し一歩も引かない熱戦を繰り広げるなど日進月歩の成長を続け、大学選手権の出場権を確保した。
2025年12月14日、かつて今野が日本一を成し遂げた花園ラグビー場で、再び頂を目指すための戦いが幕を開けた。相手は地元関西に本拠地を置く京産大。多くの赤紺ファンの声援に後押しされ、フィジカルに優れる選手を有する京産大に対し、慶大は今野がまとめあげた組織力で対抗した。今野がタクトを振るったBK陣を中心に、多彩なアタックで相手を翻弄し、5トライを挙げた。

それでも、あと一歩及ばなかった。最後にインゴールに楕円球を置いたのは京産大だった。「日本一」の夢は関西の地で散った。今野は「ホイッスルが鳴った後、負けたことを理解するまでに時間がかかった。個人としては全てを出し切れたと思っているが、それでもチームを勝たせることができなかったことには悔いが残る」と悔しさを滲ませた。
だが、今野の言葉には続きがあった。「ただ、後輩たちがあのような熱い試合を観て、あの時感じた悔しい想いを糧に、来シーズン頑張って、勝つ姿を見せてくれたら嬉しい」。今野は主将として、最後までチームへの想いを紡いだ。
大学卒業と共に17年間のラグビー人生に終止符を打つという決断を下した今野。他大学の主将たちが揃ってプロ選手という道に進む中、今野がその道を歩まなかった理由を聞くと「自分の体の状態を考えると、試合に出るためのコンディションを維持し続けられるか分からなかった。試合に出ることが出来なければ、プロになる意味がないと思った」と語った。

文字通り身を粉にしてチームのために尽くした今野はこの春、新たなステージに進む。「ずっとラグビーと共に人生を歩んできた中で、社会に出てどういう生き方ができるのか、わくわくしている」と、これからの人生に期待を膨らませている。
今野は蹴球部126代主将として、誰よりもチームのことを考え、誰よりも真剣にラグビーと向き合い、明るくチームを先導した。共に「日本一」を目指した後輩たちを見守りながら、今野は新天地でも八面六臂の活躍を見せることだろう。
(取材:神谷直樹、髙木謙 記事:髙木謙)

