【Last message】楕円球にかけた半生と磨き上げた精神/4年生特集「Last message 〜4年間の軌跡〜」 No.36・中山大暉(蹴球部)

ラグビー

24年度に引退を迎えた4年生を特集する「Last message〜4年間の軌跡」。第36回となる今回は、蹴球部の中山大暉(環4・桐蔭学園)。慶大入学直後、スーパールーキーとして1年次から対抗戦、選手権に出場し、その後の2年間も不動のHOとしてチームに定着した。4年生になり、十分な経験と信頼を得た彼は主将としてチームを引っ張った。慶大蹴球部を誰よりも知る彼の4年間を終えた今の心境を探った。

 中山は幼稚園から桐蔭学園に進学。そこから彼のラグビー史がスタートした。桐蔭学園は言わずと知れたラグビーの名門校。6大会連続19回目の花園出場や2011年の全国制覇など輝かしい成績を誇る。知り合いのつてでラグビーを小学校から始めていた中山は自ずと中学、高校へとラグビー部に歩みを進めた。そんな中山の人生史において特に印象付けられるのが、2年、3年時と正HOとして花園連覇に大きく貢献した経験である。また、3年時の花園では優秀選手に選ばれ、高校日本代表候補に選出された。ラグビーエリートとしてこれまでにも輝かしいキャリアを築き上げてきた中山。

 大学進学するにあたり、桐蔭学園在学中、何度か慶大のグラウンドに訪問し、選手から指導をしてもらった機会に恵まれた。その体験から慶應が一番馴染みがあると思い慶大を入試という形を通して進学する。

満を持して慶大に入学した中山

  慶大で高校時代に果たした全国制覇を再び目指し意気込む中山であったが、入学時はコロナの感染拡大が襲った。今まで当たり前のように身近にあったラグビーを奪われた。しかし、不屈の精神を持つ中山はラグビーへの熱を絶やさず、チームとしての活動が制限される中であっても体力強化などを怠らない。

 それらの努力が実を結び、中山は1年生ながら異例の対抗戦7試合に出場。大学選手権1試合にも出場した。2年からはすでにポジションに定着し2番として出場した。スクラム、ラインアウトでチームのセットプレーを引っ張り、大学選手権では2試合でモールから2トライをあげた。

モールからのトライを量産した中山

 2023シーズンではHOとしての不動の地位を築き上げた中山はスクラムリーダーとして、対抗戦、大学選手権全8試合に先発出場。その中で彼自身、忘れられないという試合が新国立競技場で行われた早慶戦である。第100回大会という節目で、歴史的な試合を作り上げる一員として携われたことは中山がラグビーを「やっていて良かった」と実感する出来事であった。

 4年生となり経験、実力、リーダーシップから主将を任せられる。その出だしは必ずしも幸先いいものとは言えなかった。秋の関東大学対抗戦では開幕戦から3連敗と軌道に乗れなかった。主将としての理想像を見失う中、恵まれたという後輩たち、特に小中高大と同じチームでプレーした昨季リーダーの今野椋平(環3・桐蔭学園)や他のリーダーとともに雰囲気づくりに徹したことによりその後の2試合で連勝を収めた。波に乗りたかった慶大フィフティーンであったが101回目となる早慶戦では敗北を喫する。それでも、大学選手権に4位で出場を決めた。1試合目の東洋大学戦では豪快なトライを決め、チームとしてもオフェンスが爆発。2回戦目と駒を進めた。2回戦目の絶対王者帝京大学には敗北したものの自身もラグビー人生最後となるトライでチームそしてスタジアムを沸かせた。

帝京大戦後取材に応じる中山

 この試合終了直後の心境として中山は「悔しさもあったがやり切った」と清々しい面持ちで語った。これは中山の理想のラグビーができたという達成感とラグビーが彼に与えてくれたものの大きさを物語っている。人生の大半を楕円球にかけた彼の次なる舞台はフィールド上ではないかもしれない。しかし、中山がラグビーを通して磨き上げた精神は新天地でも躍動することだろう。

(取材・記事:吹山航生)

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