25年度に卒業を迎える4年生を特集する特別企画「光るとき」。第54回となる今回は、蹴球部の山本大悟(環4・常翔学園)。1年時から公式戦にて爪痕を残してきた彼は、ラストイヤーを副将として迎えた。しかし、怪我やポジション争いに苦しめられる時期もあった。それでも前へ進み続けた熱い漢のラグビー人生を振り返る。
花園出場後の一般受験挑戦で慶大へ
2025年12月14日、第62回全国大学ラグビーフットボール選手権大会(以下、選手権)3回戦での敗戦をもって、慶大蹴球部の126代にあたる4年生は引退した。この試合は後半開始に慶大が12点のビハインドをひっくり返したのちに大接戦となった試合だ。シーズンの集大成を懸けることとなった慶大の出場メンバーに山本の姿はなかった。
山本は小学5年時、経験者の父の影響もありラグビーを始めた。そのまま高校まで地元である大阪でラグビーを続けた。常勝学園高時代は3年間花園出場を果たし最終学年では主将として全国高校ラグビー大会に出場。花園ラグビー場の地を経験した。準々決勝で敗退後高校のラグビー部を引退したが、その次には大学受験が山本を待ち受けていた。早稲田出身の祖父をもつ山本は早大への志を抱いていたという。そんな山本が慶大への受験を決めたのは常翔学園高時代の監督の助言がきっかけだった。幼い頃からの強い“慶應への憧れ”があったわけでもなく、成り行きで決断した慶大への受験。AO入試や自己推薦入試を経て入部する部員が多い中、山本は一般受験で環境情報学部に挑戦した。花園での熱闘を終えすぐさま受験勉強に集中し、見事に合格を掴み取った。慶大を受験する高い壁を乗り越えた経験は「決して間違っていなかった」ことを証明したのが、山本が大学4年間を通して体現したプレースタイルに表れている。

一筋縄ではいかない“チームの顔として躍動し続けること”
慶大蹴球部の一員となった山本は、上京し日吉での寮生活が開始した。高校時代は実家から始発列車で練習へ向かい、夜8時に帰宅するような日常を送っていた。そのため山本は自身初めてとなる寮生活への不安以上に、「練習以外の時間が増え、自分の幅が広がった」ことへの価値を見出していた。1年時の最初のシーズンが開始すると、早速5月8日の流通経済大戦に、同じく大阪から上京してきた同期の杉山雅咲(総4・大阪桐蔭)らとともにメンバー入り。6月19日の日体大戦ではスタメンに名を連ね、13番の黒黄ジャージを着てチームの大勝に貢献した。この年は秋季対抗戦でも計3試合のメンバーに選ばれた。中でも11月23日の早慶戦は山本にとって悔しさの残る一戦として印象に残っている。悪天候の中、山本はラスト10分のところで満を持して秩父宮のピッチに立った。花園を経験した山本でも、秩父宮での早慶戦は独特の雰囲気を感じたという。自分からボールをもらいにいく思い切りさに欠け、相手ディフェンスがいるところにも関わらず味方にボールを蹴る指示を出した。「あそこでボールもらって走ってたらよかったな」とチームに貢献できなかった後悔の念が4年生になってもふと蘇っていた。
続く2年時も順当に試合に出続け、慶大蹴球部の主戦力として名を馳せた山本は3年時、今野椋平(環4・桐蔭学園)とともにリーダーグループに所属した。今野のほか、一学年上の村田紘輔(令7経卒・慶應)や二学年下の田村優太郎(新総3・茗溪学園)らとCTBのポジション争いを強いられたが、春季大会、秋季対抗戦ともに全試合にメンバー入りを果たし、自身のキャリアを着実に積み上げながら1年間チームを牽引した。そして3年間グラウンド内外で培った信頼が買われ副将として迎えたラストイヤーだが、始まってみれば複数の試練が山本に降りかかった。これまでの好成績とは裏腹に、山本は「4年目が今までで一番苦しい期間」だと口にしていた。春季大会途中で主将の今野が怪我で一時戦線を離脱。チームとして思い通りに勝ちきれない苦難をゲームキャプテンとして味わった。自身も、全試合にスタメン出場するも常にBK陣での熾烈なポジション争いを勝ち抜く粘り強さが求められた。それでも山本は自身の求められた役割を見失うことはなかった。山本の持ち味は慶大の“魂のラグビー”を体現する、相手ディフェンスにぶつかりながらエリアをこじ開けゲインする、愚直なプレー。「がむしゃらに体を張る」副将の背中がチームを扇動した。こうして〈今野がまとめたチームを、山本が引っ張っていく〉形で主将と副将が補完し合い、春シーズンを終えた。

そして山本にとってラグビー人生最後のシーズンが開幕した。秋季対抗戦開幕戦、そして3戦目にメンバー入りした山本は、3戦目を終えたタイミングの10月19日、慶大下田グラウンドで行われた早大ジュニア戦にも出場した。5-73と大敗を喫し、試合後「相手の勢いにやられ、受けに回ってしまった。気持ちで負けていた部分もある」と反省を口にしていた。チームとして悔しい結果となった上に、この試合で山本自身は右手親指に怪我を負った。ラストシーズン中盤、そしてこれまで3年間出場し続けた早慶戦が約1ヶ月後に控えるタイミングでの離脱。“ラグビーをやっている意味”を見落としかけ、ネガティブにもなった山本だが、これが「自分と向き合う機会」だと捉え直した。そして11月23日の早慶戦で山本は公式戦の戦線に復帰した。「ワセダにやられた悔しさはワセダで返す」と意気込み、持ち前の力強いボールキャリーを秩父宮で披露し、見事4年連続の早慶戦出場を果たした。

翌戦の帝京大戦にも続けて出場した山本だったが、選手権はサポートメンバーとして仲間を見送った。“負けたら引退”の選手権に向かう前日、ハードな練習をして「全てを出し切った」と話す山本は、「悔しい結果となったが京産大相手に向かったあのメンバーで勝てないなら、他の誰が出ていても勝てなかったと思う」と振り返った。大学生活で一番苦しんだラストイヤーを終えた山本についてBK学生コーチの安田雄翔(法4・甲南)は「間違いなく今年のチームが戦い抜けたのは大悟のおかげ」だと絶対的な信頼を置いていた。
山本は後輩たちに「自分らしさを貫いてほしい」とメッセージを残した。「“メンバーに選ばれるために”動く以上に、“自分が一番何をしたいのか”を伸ばすべき」だというのだ。高校時代から主将や副将としてチームの先頭に立ち、上のランクで活動してきた時間が長い立場だからこそ、個性あふれるプレイヤーが一つにまとまった時の強さを知っているのだろう。逆境に立った時でも自分の役割を決して見失わなかった山本。彼の大学4年間の軌跡が、この後輩たちへのメッセージを裏打ちする。
(取材:神谷直樹、髙木謙 記事:島森沙奈美)

