25年度に卒業を迎える4年生を特集する特別企画「光るとき」。第68回となる今回は、男子バスケットボール部の副将を務めた椎橋遼生(政4・國學院久我山)。4年間を通して椎橋が探し続けたのは、「自分がどう輝くか」ではなく、「チームの中でどう在るか」という問いへの答えだった。
バスケというアイデンティティ
父が慶大バスケ部のOBということもあり、小学3年生からバスケを始めた椎橋。恵まれた体格もあり、試合に出る機会には困らなかった。中学ではクラブチーム・コンフィアンサ東京に所属し、日本一を達成した環境に身を置く。戦術を学び、それまで感覚に頼っていたプレーに理論が加わった。一方で、その時間は決して楽しいものではなかった、という。周囲から見れば順調な競技人生の中で、当時の椎橋はバスケを心から好きだと言い切ることができなかった。それでも続けてきたのは、バスケを失ったときに、自分に何も残らないのではないかという不安があったからだ、と語る。
「得点」から「役割」へ
強豪・國學院久我山に進学すると、3年時には副キャプテンとしてスタメンでコートに立ち、ウィンターカップにも出場。シューターを担い、「得点を決めるどうか」だけが自身の評価基準だった。
しかし、大学に進むとその価値観は通用しなくなる。これまでの「分かりやすい結果」だけでは評価されにくくなり、チームが求めるのはむしろ、単なる得点では測れない部分だった。一定の出場機会は得ていたものの、思うような結果を残せない。自分が何に悩んでいるのかさえうまく言葉にできなかった。
そのとき、椎橋は一冊のノートを作ったという。そこに書いたのは得点数ではなく、ディフェンスやリバウンド、ルーズボールといった、自分が果たすべき役割についてのみだった。それでも「やるべきこと自体は単純だが、そこに目を向け続けることは簡単ではなかった」と話し、当時はなかなか苦悩から抜け出せなかったと振り返る。

自分の役割に向き合い続けた
期待を手放した先で
転機となったのは、4年時の早慶戦を前にしたアクシデントだった。ぎっくり腰や脳震盪により、思うように練習ができない期間が続いた。コーチ陣からの厳しい言葉もあり、状況は決して好転していなかった。
それでも、その中で一つの覚悟が生まれる。もう自分に期待するのはやめよう――そう思ったとき、不思議と気持ちが軽くなったという。自分が得点を取ること、目立つこと、これまでの実績。そうした葛藤やこだわりを手放し、チームにとって必要なプレーに徹する。リバウンドに飛び込み、ルーズボールに食らいつく。泥臭いプレーに振り切って腹をくくったことで、少しずつプレーに迷いがなくなっていった。
さらに韓国遠征では、フィジカルの強い相手にも通用する手応えを得た。身体を鍛えれば、自分の役割を遂行できる。その実感が自信になった。やるべきことに集中した先でプレーの歯車が噛み合い始め、かつて追い求めていた得点や評価も、役割を全うする中で「自然とついてくるもの」へと変わっていた。

ゴール下で競り合い、臆さず飛び込む
副将としての在り方
4年時、副将に立候補した理由もまた、自身の役割意識と重なる。ストイックにチームを引っ張る主将・廣政遼馬(経4・福大大濠)に対し、椎橋は「取り残される人を作らない存在」でありたいと考えた。試合に出られない選手の気持ちにも寄り添い、チーム全体をつなぐ役割だ。一度退部し、バスケから離れていた時期があるからこそ、チームに対する距離や葛藤を理解できる立場でもあった。
副将はどうあるべきか。その答えは一つではない。チームの状況や人によって形は変わる。それでも最後にたどり着いたのは、「与える側であること」だったという。これまで多くの人に支えられてきたからこそ、今度は自らが無償で与える。その思いが、椎橋なりの副将像を形作っていた。

副将として臨む早慶戦 後輩を鼓舞した
たどり着いた「納得のいくバスケ」
始めたときからずっと、どこか距離を感じていたバスケ。逃げずに向き合った慶大での4年間を振り返り、椎橋は「結局、すごく楽しかった」と話す。ただ、その実感は最後のシーズンでようやく得られたものだった。1年時はのびのびとプレーしていたが、どこか自分本位だったという。得点や見栄えでは、当時の方が目立っていたかもしれない。それでも「納得できるのは4年時のリーグ」だとはっきり言い切る。自分のためではなく、チームのためにプレーする――それにやりがいを見出し、自分の存在意義として捉えられるようになったからだ。その変化こそが、この4年間で得た最も大きなものだった。役割を見つけ、それを全うする。その積み重ねの先に、初めて心の底から「楽しい」と思えるバスケがあった。

かつては、バスケを失ったら自分に何も残らない、そんな不安を抱えながらバスケを続けてきた椎橋。しかし引退した今、「バスケの外に何かを求めなくても、バスケの中にこそ、自分に残るものがあると思えた」と力強い言葉を残した。
(取材・記事:本橋未奈望)


