【競走】負けに不思議の負けなし 総合29位となり本戦出場を逃す/第101回東京箱根間往復大学駅伝競走予選会 

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第101回箱根駅伝予選会が10月19日(土)、東京都立川市にて行われた。気温が30度近い過酷な条件の中、出場全43校・500人にのぼるランナー達が上位10校に与えられる本戦出場権をかけて争った。慶應義塾大学は総合29位となり、31年ぶりの箱根路復帰とはならなかった。

 

2024年10月19日(土)

第101回東京箱根間往復大学駅伝競走 予選会@立川駐屯地・立川市街地・昭和記念公園

 

♢結果♢

1位  立教大学   10時間52分36秒 
2位  専修大学   10時間53分39秒 
3位  山梨学院大学 10時間54分06秒 
4位  日本体育大学 10時間55分58秒 
5位  中央学院大学 10時間56分01秒 
6位  中央大学   10時間56分03秒 
7位  日本大学   10時間56分53秒 
8位  東京国際大学 10時間58分53秒 
9位  神奈川大学  10時間59分12秒 
10位 順天堂大学  11時間01分25秒


29位 慶應義塾大学 11時間23分10秒

 

 

♢個人成績(上位10人)♢

順位

大会番号

選手名

タイム

28

297

田島公太郎(環4・九州学院)

1時間4分35秒

118

296

木村有希(総4・葵)

1時間6分6秒

186

301

関口功太郎(経3・宇都宮)

1時間7分9秒

205

306

成沢翔英(環2・山梨学院)

1時間7分25秒

243

295

安倍立矩(理4・厚木)

1時間8分5秒

290

303

渡辺諒(法3・慶應)

1時間9分6秒

299

307

野田大晴(経2・湘南藤沢)

1時間9分13秒

333

302

東叶夢(環3・出水中央)

1時間10分6秒

335

305

佐藤瑞(政2・慶應)

1時間10分9秒

371

298

橘谷祐音(理4・新潟)

1時間11分16秒

※各大学上位10選手の合計タイムで競う

 

木村有希(4年)

 

完敗だった。“31年ぶりの箱根駅伝本戦出場”という目標を掲げて今年の予選会に臨んだ慶應義塾大学競走部長距離ブロックは、合計タイム11時間23分10秒・総合29位に終わった。ボーダーラインとなった総合10位・順天堂大学とのタイム差は21分45秒。慶大選手たちの夢は来年以降に持ち越しとなった。 

 

橘谷祐音(4年)

 

今大会の慶大の陣容は“過去一番”といっても過言ではなかった。この1年間で多くの選手がトラックやロードの試合で結果を残してきた。3度にわたって行われた夏合宿を通じ、心身共に“箱根仕様”に仕上げてきた。エントリーメンバーにもチームの主力が順当に名を連ねた。主将・田島公太郎、エース・木村有希をはじめとした前回大会出走メンバー8人に加え、今季好調の2年生・成沢翔英も新たにメンバー入りを果たした。選手たちは昨年以上に自信を持って立川駐屯地のスタートラインに立っていたのである。 

 

佐藤瑞(2年)

 

ただ、現実は厳しいものだった。慶大は序盤から他大学の背中を追う展開となった。10キロ通過時点での順位は20位圏外。既に険しい表情を浮かべる選手、顔いっぱいに汗をかく選手、脇腹を抑える選手。様子がおかしいのは明らかだった。

 

渡辺諒(3年)

 

「前半10キロの通過時点で暫定10位以内に入っておくことが重要だ」試合前のインタビューで保科光作ヘッドコーチが語っていたように、10キロの通過順位はチームの中で重要な指標の一つだった。その前半で大きくリードを許した、この情報は沿道に待機する他の競走部員を通して選手達にも伝わっていたはずだ。各選手が不安と焦りを抱いたまま、レースは後半に入っていった。

 

安倍立矩(4年)

 

試合開始時からランナーたちを苦しめていた気温は、レース後半にはさらに30度近くにまで上昇。この季節外れの暑さの中、選手達はこの試合一番の勝負所を迎えた。

 

関口功太郎(3年)

 

予選会コースでは14.5キロ過ぎから昭和記念公園内を走る。細かなアップダウンが続き、カーブが連続する5キロ以上の道のりは箱根挑戦者たちへの最後の試練となる。慶大選手達の多くはここでさらにペースを落とした。後半になっても悪い流れは変わらなかった。 

 

島田亘(3年)

野田大晴(2年)

 

レース最終盤、選手達の口は大きく開き、顎も上がっていた。蛇行しながら走る選手、攣った脚を押さえながら走る選手もいた。15キロ、20キロ通過時点でも、上位10校の中に慶大の名前はなかった。フィニッシュ地点、10名ゴールした(記録が出そろった)大学が10校となった時点で、慶大選手の中でゴールしていた者は4名だった。 

 

成沢翔英(2年)

 

今大会で総合1位となった立教大と2位の専修大。この両大学と慶大の出場メンバー1人当たりの10000mの持ちタイム差は30秒程度。それがこのレースでは30分もの差がついていた。タイムの速さではなく、ランナーとしての“強さ”の必要性を突き付けられた結果だった。 

 

東叶夢(3年)

鈴木太陽(3年)

この日は、競走部の部員や應援指導部をはじめ沢山の人々が沿道から声援を送った。主務や出場が叶わなかった部員も、給水や試合状況の伝達を通じてサポートした。それでも、届かなかった。

 

沿道から声援を贈る競走部員

 

試合後に行われたミーティングにて保科はこう語った「順調な調整はできていました。それでもこのような結果になってしまったということは、私の中に何かしらの“甘さ”があったのだと思います。そんな中でも、田島は最後まで主将としての意地を見せてくれました」 

 

保科光作ヘッドコーチ

 

終始日本人先頭集団でレースを進め、全体28位/チーム1位の走りをした駅伝主将・田島。全選手を代表して彼はこう語った(以下本人のコメント全文) 

 

田島公太郎(4年)

 

「皆さん、こんにちは。本日は暑い中で朝早くから応援してくださり、誠にありがとうございました。 

結果は29位ということで、保科さんがこのチームを見始めてからもそうですし、自分が入学してからも過去最悪の記録ということになってしまいました。“自分達なりに頑張ったから…”とかは絶対に言いません。全力でぶつかって、全力で砕けて、全力でやった結果、負けました。悔しいです。めちゃめちゃ悔しいです。 

 

 

ここまでチーム状況がどれだけ悪くても、どれだけ結果が出ない中でも、我々を応援して信じ続けてくださった競走部のみんな、そして本日御越しの皆さん。皆さんの支えと応援がなかったら、我々はこのスタート地点にさえ立つことができていません。走る前は、“今年は過去最強の、最高のチームだ”という風に胸を張って立つことができました。そこに関しては本当に感謝しかありません。 

 

 

個人的にも不甲斐ない、周りに厳しいことしか言わない人間だったかもしれませんが、みんなが僕を信じてくれて、最後にはこうやってみんなが“頑張れ!頑張れ!”って沿道から声かけてくれるようなチームになりました。そんなチームのブロック長という光栄な役職を2年間やらせていただき、本当に感謝しかありません。 

 

 

我々4年生が抜ければ世間的には“これで慶應は弱くなる”だとか“これで慶應の第一章は終わりだ”とか言われるかもしれませんが、まだまだこんなもんじゃありません。まだまだやれます。ここに立っている1、2、3年生、そして今日ここに立てなかった1、2、3年生。まだまだ全然こんなもんじゃありません。来年以降、このチームを超える、この僕を超える走りを絶対にやってくれると思います。再び長い目で見なければならない苦しい慶大駅伝チームをどうか皆さん温かく見守っていただければと思います。

 

 

 最後にはなりますが、本日は本当に沿道からの応援が力になりました。もう今日僕は駐屯地を出る時から既にとても苦しかったです。“もう走るのやめたい”ってぐらいキツかったです。 めちゃめちゃ暑いし、周りは速いし、日本人集団のトップをずっと走らされてるし。その中でも最後の21.0975キロメートルまで走り切れたのはここにいる皆さんのお陰です。本当にこのチームで競技をやらせてもらえて幸せでした。本日はありがとうございました。」 

 

 

 

色んなことが起こった大会だった。“東海大選手の途中棄権”、“過酷な気象コンディション”、“立教大の1位通過”、“順大と東農大・1秒差の明暗”などの出来事を各メディアはこぞって取り上げた。慶大についての記事はどこにも見当たらない。選手たちのレース中の心境、レース直後の心境、結果発表時の心境、来年への意気込みなど、現段階ではわからないことばかりだ。

わかっているのは、この大学にも、箱根駅伝に出ることを心の底から渇望し、陸上人生を懸けて、青春を懸けて、どんな時も走り続ける人達がいたこと、懸命に応援する仲間がいたこと、彼らの夢が打ち砕かれたこと、その際に頬を伝った涙の味が少し塩辛かったこと、学年を越えた”想いの継走”は続いていくということ。そんな慶大競走部の足跡をここに書き残しておこうと思う。

 

 

 

 

 

(取材:小田切咲彩、竹腰環、河合亜采子、鈴木拓己、山口和紀、重吉咲弥、野村康介)

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