スポーツ推薦の枠を持たない慶應義塾大学。夏の終わり、ケニアからの留学生が競走部の門をたたいた。クリントン・レマション・ロソ、19歳だ。「ケニアと日本の架け橋になりたい」――彼は、そう言い切る。かつて赤土の通学路を走っていた少年は、なぜ日本を、慶應を選んだのか。そして、どんな未来像を描いているのか。全2回にわたってお届けする「留学生紹介企画」。前編では、クリントン選手の経歴と慶應競走部入部までの経緯、その人物像に迫る。
※本インタビューは英語で行い、クリントン選手の発言は日本語に訳したものです。また、一部の写真は慶應競走部よりご提供いただきました。
――まず、簡単な自己紹介をお願いします

クリントン・レマション・ロソです。ロソが姓で、クリントン・レマションが名前です。19歳です。もともと800m、1500mなどの中距離種目をやっていました。
――出身は?
ケニアのリフトバレー州です。リフトバレーはケニアで一番大きな州で、その中のナロク・カウンティで育ちました。
――陸上を始めたきっかけを教えてください
2021年、高校に入ったときです。全額奨学金でM-PESA Foundation Academyに入学しました。ナイロビ近郊にある学校です。設備が整っていたし、自分には走ることへの情熱と、自分の力を試してみたいという気持ちがありました。

M-PESAでの練習の様子(写真:本人提供)
――憧れの選手はいますか?
中距離を走っていた頃に憧れていたのは、デビッド・ルディシャです。800mの世界記録保持者で、実は僕と同じナロクの出身なんです。子どもの頃は、彼のレースをよく見ていました。学校までは長い道のりを、朝、走って通っていたんですが、テレビで彼のレースを伝える実況をよく聞いていたので、走りながら自分で彼の実況を口ずさんでいました。中距離に進んだのも彼のようになりたかったからです。でも今はそれ以上に、自分だけの視点を持った人間でありたいと思っています。彼から学んだこと、そして地元でも世界でも偉大な人間になりたいという夢を、今は持っています。
――慶應のことはどのような経緯で知りましたか?
去年の2月です。それまで慶應のことは聞いたこともありませんでした。慶應競走部の鹿又監督と保科コーチが私の学校を訪問する数日前に、コーチから『日本の慶應大学の人たちが、入学してほしい生徒に会いに来る』と聞いたんです。すごくワクワクしました。実際に会って、走りを見てもらって、そこから大学のことを調べ始めました。出願の手続きや条件、自分に資格があるのか。幸運にも大学のことをよく知ることができて、入学試験に合格し、今ここにいます。

『入学してほしい生徒に会いに来る』と聞いてすごくワクワクしました
――母校であるM-PESAの先輩たちは、アメリカやイギリスの大学に進んでいる生徒が多いですが、その中で日本の大学を選んだ理由は?
僕の学校でも、ケニア全体でも、日本に行く人はあまりいません。だからこそ、誰も、あるいはほとんど誰も経験したことのない場所に行ってみたかった。アメリカやヨーロッパとは違う大陸の、まだ誰も経験していない新しい環境に、自分を挑ませてみたかったんです。

まだ誰も経験していない新しい環境に
――来日前、日本にどんなイメージを持っていましたか?
以前は、日本のことをあまり知りませんでした。でも調べていくうちに、とても美しい国で、親切で支えてくれる人がたくさんいる国、というイメージを持つようになりました。実際に来てみて、本当にその通りでした。
――家族は、日本行きをどう受け止めましたか?
最初は、僕が何をしているのかよく分かっていなかったと思います。アメリカやヨーロッパの大学に出願するのと、(日本への)手続きは少し違うので。でも、この国で学ぶ場所を得られたと伝えたら、とても喜んでくれました。いつか僕が(ケニアに)帰って日本の話をするのを、今から楽しみにしてくれているんです。

ケニアでの様子(写真:本人提供)
――合格を知った瞬間のことを教えてください
(合格発表の)前の晩はすごく緊張して、眠れませんでした。発表前からウェブサイトを何度も確認していて、目が覚めたのは朝5時ごろ。サイトを開いて、赤い太字で『合格おめでとうございます』と書かれているのを見たときは、本当にうれしかった。座り込んで、これまでの努力とこの機会を神様に感謝しました。それから家族と高校のコーチたちに伝えたら、みんなとても喜んでくれました。
――慶應との出会いから入部まで、鹿又監督、保科コーチなど、多くの人の支えがありました。そのサポートをどのように感じていますか?
(彼らは)僕がここに来られるよう助けてくれた、本当に素晴らしい人たちです。その支えは途切れることも、揺らぐこともありませんでした。たくさんの時間と労力を、僕のために注いでくれた。彼らの支えと情熱、優しさがなければ、今日ここにはいられなかったと思います。心から感謝していますし、託してもらった信頼と約束に、必ず応えたいと思います。これからの数年で僕が成功する姿を見て、彼らが自分たちのしてきたことを誇りに思えるように。

写真右から鹿又理監督、クリントン選手、保科光作コーチ
――これまで多くのケニア人留学生の活躍もあり、日本では「ケニア出身のランナーは速いものだ」と思われがちです。そう見られることを、どう感じますか?
個人的には、ケニア人ランナーがほかのランナーと違うとか、特別だとは思っていません。僕たちはみんな、ほとんど同じ能力を持っています。走ることは、努力と継続がすべてです。たくさん練習すれば、自然と速く走れるようになる。だから、それは過大評価された見方だと思います。「ケニア人だから速くなければいけない」、とは思いません。ケニア人ランナーも、ほかのみんなと同じ普通のランナーです。ただ、その多くは目標にたどり着くために本当に努力している。育ってきた環境の中で苦しい経験をしてきたから、勤勉で、やる気にあふれているんです。だから僕たちは、ほかのランナーと何も変わらない。それが僕の考えです。

苦しい環境で育ってきたからこそやる気にあふれているんです
――高校時代は中距離が専門。20kmを走る必要があると言われたとき、どう思いましたか?
その通りで、僕は高校では、主に中距離種目を走っていました。5000mにも少し挑戦したけれど、あまり多くはありません。鹿又監督から20kmの話を聞いたときは、最初は『長すぎる…』と思いました。一度も走ったことのない距離でしたから。でも自分を振り返ってみて、やったことのないことにも挑戦できる人間だと思えたんです。ケニアの英雄キプチョゲが『人間に限界はない』という言葉をよく使いますが、僕だって中距離ができたのだから、長距離もできる。ただ結局は、練習と継続です。一瞬でたどり着けるものではなく、過程なんです。だから、その過程を歩む機会を自分に与えれば、いつか走れるようになると信じています。
――来日時、空港では長距離ブロックの大勢の仲間からの出迎えがありましたね
すごい歓声が聞こえたんです(笑)。入国審査を終えて出口を出たら、周りの人たちは『何が起きたんだ』『こんなふうに待たれているのは誰なんだ』と顔を見合わせていました。温かく迎えてもらえて、本当にうれしかった。みんなが僕を待っていてくれたこと、強くて、支え合えるチームだということが伝わってきました。初めての場所なのに、どうしていいか分からないとは一度も感じなかった。家にいるみたいでした。

空港では競走部の部員たちがゲート前で出待ち。歓迎を受けた
――来日して2週間(インタビュー当時)が経ちました。競走部での練習はどうでしたか?
ケニアの練習とは少し違いました。ケニアでは朝はあまり長く走らなくて、朝のジョグは長くても10kmです。でもここでは12km、14km、20kmと走ることがある。朝に長く走ると、その日はずっとクタクタです。最初の1週間は、体がかなりキツかった。でも今は少しずつ慣れてきています。いいプログラムだと思うし、いずれ適応できるはずです。
――食事や生活で、まだ慣れないことはありますか?
食べ物は、ケニアの料理とまったく違います。特に朝ごはん。ケニアでは朝・昼・晩の食事がそれぞれはっきり違うんですが、ここでは僕にはどれも同じに見えて、区別がつきませんでした。味も違うので、最初は食べるのに苦労しました。でも、お腹を壊したことは一度もない。それは素晴らしい。日本の食べ物はとても安全で、美味しいものもたくさんあって、もう好きになってきています。
――今、好きな食べ物は?
来日初日に食べたとんかつはすごくおいしかった。いなり寿司も甘くて、大好きです(笑)。
――手首につけているブレスレット、書かれている言葉は?
『一期一会』と書いてあって、ケニアと日本の国旗が並んでいます。二つの国をつなぐ橋のようなものです。英語にすると『treasure every moment』、すべての瞬間を大切に、という意味です。
――「一期一会」という言葉を選ばれた理由は?
与えられた一瞬一瞬を探求して楽しむことが、ずっと僕の夢であり、生きる原動力でした。だからこそ、この言葉が好きになったんです。僕が今ここにいることも、与えられた一瞬。それを大切にして、自分のために、周りの人のために、そして二つの国のために使いたいと思っています。

「一期一会」
――9月22日の慶同戦が、慶應のユニフォームでの初めてのレースになりますね(※大会前に取材)
楽しみです。トラックで10000mを走るのは初めてなので、いい形で自己ベストを出したい。慶應の競走部での初めてのトラックレースを楽しむ準備はできています。(※取材後、本番で32分51秒を記録し、箱根駅伝予選会の参加標準記録〈34分00秒〉を突破した)
――慶應では、9月から環境情報学部に入学しました。どんなことを学びたいですか?
将来の道は、まだはっきりとは決めきれていません。GIGAプログラムは柔軟で、学際的なプログラムなので、まずはいろいろな分野を自由に探求したい。そのうえで、自分が一番貢献できる場所を選びたいと思っています。
――4年後、そしてその先の人生で、何を目指していますか?
僕の目標は、ケニアと日本の間に橋を架けることです。医療や起業、教育、ビジネスなど、いろいろな分野でケニアと日本をつなぐ存在になりたい。特に、地域の発展や、地元に恩返しをすることに情熱を持っています。4年後には、ここで学んだことを母国と地元に持ち帰り、日本と協力して、両国がともに成長できる意味のあるパートナーシップを築きたい。二つの国が一緒に歩む姿を見ること、そのつなぎ役になること。それが僕の一番の目標です。

ケニアと日本の架け橋になりたいんです
――この記事の読者に向けて、最後にメッセージをお願いします。
僕はフレンドリーで、話しかけやすい人間です。会場で会ったら何でも聞いてほしいし、気軽に話しかけてほしい。新しい人と話して、お互いに何かを学ぶのが大好きなんです。チームのみんなとも、一人ひとりと話して、もっと仲良くなれたらうれしいです。
〈後編に続く〉
(記事:竹腰環、写真:野田誉志樹、山口和紀)


