9月5日から7日の3日間にかけて、横浜・日産スタジアムにて開催される第95回日本学生陸上競技対校選手権大会(全カレ)。全国の舞台を直前に控える中、全カレで活躍が予想される2選手に取材を行った。
今回は、跳躍ブロックの女子のエース・佐田那奈(看3・福岡雙葉)選手。入学直後のけがとスランプを乗り越え、高校時代のやり方を断ち切り、助走から三段跳を再構築してきた。今夏には高校時代の自己ベストに並ぶ12m57を記録。確かな手応えを胸に、全カレでの大ジャンプを誓う。

――中学1年から走高跳を始められました。陸上競技を始めたきっかけは?
中学1年生のときは、元々家庭科部みたいな部に入っていたんですけど(笑)、クラスで仲良くなった子たちが陸上部で、誘ってもらって入りました。走高跳を始めたきっかけは、当時のコーチの方が、「君は高跳び向いてるから」と、その場で動きを見てくださったことです。
――高校2年からは三段跳を始められています。三段跳に挑戦されたのはなぜですか?
高校の先輩が三段跳をやられていて、自分自身足が速いほうではなかったので、三段跳に走る要素がいらないかと言ったら嘘になりますが、走幅跳よりはスピードがいらないかな、と思い三段跳を始めました。
――高校時代には、三段跳で福岡県高校記録を樹立し、全国大会でも活躍されました
当時は記録を出せる自信は全然ありませんでした。試技の4本目くらいまではもうダメダメな跳躍で、11m台が続いていて、安定感がなかったんです。たまたま踏み切りがギリギリで、動きもハマって無駄のない動作ができてしまって、この記録が出ちゃいました(笑)。
――当時の自分は、どのような選手だったと思われますか?
「気持ち」ですね!気持ちだけでガンガン進んでいくような選手でした。根拠はないけど「絶対勝てる!」みたいな強気な気持ちでいましたね(笑)。

走高跳は、一番陸上競技の中で「美しい競技」だと個人的には思っています。空中をふわっと飛び越える浮遊感、クリアランスが見ている人にとっても美しく感じるような競技だと思っています。跳んだあとも、「自分あんな高さを跳んだんだ!」って思えるくらい、普通では跳べないような高さを跳ぶところが魅力です。
三段跳は、ホップステップジャンプそれぞれのタイミングを合わせることが簡単ではないからこそ、躊躇なく踏み切れて、全てタイミングを合わせられた時の浮遊感と前にぐんと進む感覚が最高です!
父親の影響でだいぶアウトドアな人間で、帰省する時は、旅、登山、釣りにはいつも行っています。でも、上京してからは、山には結構クマが出るので、怖くてあまり行けてないんですけど(笑)。
自分が食べたいものを食べるようにしてます!もう何も気にせずに。
えー、焼肉食べたいです(笑)!
――数ある大学や学部の中から、慶應義塾大学の看護医療学部を選び、競走部で競技を続けようと考えた理由を教えてください
高校1年生の時から「看護師になりたい」という夢をずっと持っていました。看護師になるにあたって、自分がやりたい将来像を描いた時に、慶應のカリキュラム、教授の方々を見ていて、他にはないプログラムが展開されているなと感じたんです。それに慶應だけは、看護師以外の職業にもなれる選択肢があって、そんな自由な校風に惹かれました。
高校3年生のインターハイでも、不調で6位に終わって、その後の国体でも2cm差で2位になってしまって…。それがすごく悔しく「このままでは終われないな」という不完全燃焼な気持ちがあったので、大学でも競技を続けようと決めました。

――看護師を目指そうと思ったきっかけは?
小学校5年生の時に喘息で入院して、その時に看護師さんを身近に感じて憧れたのがきっかけです。それから調べていくうちに、「こういう分野があって、こんな苦しみを持っている、こういう方たちがいるんだ」ということを知って、医療に携わりたいなと思いました。
――ご自身のブログでは、入学直後は『大きな捻挫をきっかけにそれまでの跳躍ができなくなった』と書かれていました。当時はどのような心境でしたか?
――もがき苦しんでいたんですね
跳ぼうとしても実際跳べないですし、高校時代の練習に戻してみたり、ウェイトトレーニングを教えてもらって基礎体力を上げたり、色々やってみたんですけど……やはり高校時代に戻すだけでは競技力は戻らなかったです。ウェイトで最大の出力(パワー)は上がったとしても、それを三段跳に活かすとなると、踏み切りの瞬間のキレや瞬発力、助走スピードが落ちてしまうように、細かいところで噛み合わなくなってしまいました。苦しかったですね。
――ブログでの『高校の自分すら超えられない今の自分に、高校のやり方を崩す資格はない』という言葉が印象的でした
最初は「誰に何を言われようが、自分がこれで成功した経験があるからこれでやろう」と思っていたんです。でもそれがまったく通用しないことに気づいてからは、新しいことも色々取り入れ始めました。ただ、取り入れた分獲得したものがあっても、そのせいで失ってしまう技術があったりして……。自分でも数値化というか、理解しきれていなかったから、「何のためにそれをやっているのか」を考えきれなくなって分からなくなってしまったのかなと思います。
――高校時代のやり方を変える「怖さ」みたいなものも感じていた、ということでしょうか?
本当にそうです!「高校時代に戻せば、あそこまでは戻れるかもしれない」という思いもありました。それが自分の強みでもあった部分を、一度壊してしまうことになるので…。でも「高校時代の練習で行けたのはあそこまでだったな」という思いもあったんです。そこを崩して新しいものを積み重ねていかないと、当時の記録は超えられないなというのは自分でも思っていて。高校時代の記録は、本当に奇跡的に噛み合って出た記録だったんですよ。

――「出ちゃった」という……。
「出ちゃった!」という記録だったので(笑)。それを安定して出せるようにならないと、大学では本当に通用しないんだなというのを、1年目の関カレや全カレを見て身をもって実感しました。「こんなに安定してすごい記録を出してくるんだ」と。高校時代のベスト記録をいつでも出せる状態になって、何回も出してからのPBなのかなと思ったので、高校時代の練習を一度断ち切って、新しい自分を作っていこうと思いました。
―― 『自分なりの新しい三段跳を再構築』されてきたんですね。転機となった出来事はありましたか?
「ここだな」と思ったのは、昨年3月に石垣島で行った跳躍ブロックの春合宿です。
――新しい跳躍を作るために技術的に大きく変えたポイントは何だったのでしょうか?
走り方をガラッと変えました。「ローリング」という技術を教えていただいて、助走を1から変えたのが一番大きかったです。三段跳のホップ・ステップ・ジャンプの中の細かい技術は、色々調整しているんですけど、「助走あっての三段跳だな」とそこで改めて気づきました。いかに助走を速く安定して走れるかというのをコーチと色々試行錯誤しながら、短距離ブロックの人にも相談し教えてもらいながら、少しずつ変えていきました。そこが転換となる技術だったかなと思います。
―― 8月のトワイライト・ゲームスでは、最終6回目の跳躍で12m57で自己記録を更新し、逆転優勝を果たされました。そういった細かい積み重ねや微調整の成果でしょうか?
助走が安定して走れるようになってきて、足も「速くなったね」と言われることが多くなりました(笑)。だからこそ、勢いよく跳び出すことや、自分の強みであるホップにつなげられたのかなと思います。トワイライトの時は、すごく陽ざしも向かっているし、出だしはすごく風が追っていて、最後の踏み切り直前で風が向かうといった変な気候条件だったんですけど、そんな中でもブレない助走ができたのが、優勝につながったのかなと思います。

――全日本インカレを一週間後に控えた現在、調子はいかがですか?
体脂肪率も落ちてきていて、身体的にはキレも出ていて、すごくいい状態かなと思っています。助走も含め、技術面も少し前のトワイライト・ゲームスから上達した部分、変更点もあって、個人としては期待というか、新しく変化させたことに対してのワクワク感のほうが大きいです。
――1年次にも日本インカレへ出場されています。当時の大会で印象に残っていることを教えてください
1本目から自分のPB超えの記録をみんなが出していて、「やばい」とか「すごい」と思って気づいたら、もう終わっているといった感じでした。とにかくみんな安定感がすごいなと思いました。インターハイだと、下位の選手でもパッと入賞に飛び込むような、何が起こるかわからないような波乱がある試合が多いっていう印象だったのですが、大学は強い選手がそのまま強い順で勝っていくんだな、と。「いけるかも」みたいな気持ちは本当に通用しない、通用させてくれない感じがありました。
――今年の全日本インカレでの具体的な目標を教えてください
まず絶対に達成しなければいけない目標が「ベスト8入り」です。その上でベスト8まで行けた時に、自分の自己記録が12m57なのですが、12m80オーバーを跳んで表彰台に乗りたいというのが、一番大きな目標です。
――自信はどれくらいありますか?
普段だったら「え、もう来週全カレ!?」みたいな感じなんですけど(笑)、今は「まだ全カレ来ないのかな」みたいに、早く跳びたいワクワク感の方が勝っています。気持ちの面でも、練習の仕上がりの面でも、本当に良い記録が出るんじゃないかなと思ってます!
――最後に大会に向けた意気込みをお聞かせください!
応援してくれている人を沸かせられるような跳躍ができたらいいなと思います!



