11月2日、勝てば2部優勝、1部昇格が決まる最終節を迎えたソッカー部女子。チームの悲願が達成されれば、4年生にとっては大学サッカーラストマッチとなる。ケイスポでは、最終節を目前に控えた4年生のご家族にインタビューを行い、お話を伺った。最終回となる第4弾は、坂口芹(総4・仙台大学附明成)選手のご両親とお姉様。地元・宮城の高校から上京し、慶大に入学した芹選手。技術的に、体力的に、人間的に、4年間で大きな成長を遂げた芹選手への、ご家族の想いを語ってもらった。
(このインタビューは11月2日の最終節の試合前に行いました)
――サッカーをするお子さんを育ててこられた中で、高校までの印象に残っている出来事やエピソードを教えてください。
お父様:芹は、今横にいる姉と一緒の幼稚園に通っていまして、幼稚園が終わった後に姉がやっているのを見てボールを蹴ったのが最初でした。小3からスポーツ少年団のチームに入団し、そこでようやく(競技として)サッカーを始めました。ただ、正直なところ大学までサッカーをするとは、小学生の頃始めた時もそうですし、中学生の時や高校生の時も思っていませんでした。エピソードとしては、高校2年生の時に新人戦で優勝したことを特に覚えています。小学校でも中学校でも優勝することはほとんどなく、負けの試合の方が多かったので、その試合は非常に印象に残っています。
お母様:思い出すのは、小学校の時に、雪まじりの雨のなか泥んこの校庭を悔し泣きしながらボールを追いかけ走っていた姿、学校の休み時間も昼休みも男の子達とじゃれあってボールを蹴っていた姿、暗くなっても近所の公園でヘディングしていた姿などです。サッカーが本当に好きなんだなと思いましたし、その姿を見ているのが私もとても楽しかったです。
――芹さんがソッカー部を目指し始めた経緯を教えてください。
お父様:高校の時の監督の方に、「そういう選択もいいのではないか」と言っていただいたことがきっかけです。ただ、娘が行っていた高校からソッカー部に来られた方はいなかったことや、しかも(宮城から遠い)横浜の学校ということもあって(情報は少なかったけれど)、Youtubeでソッカー部の試合を見て受験に至ったという形です。
お母様:高校卒業後の進路を考えている時に、当時の監督さんに、ご友人がソッカー部で充実した4年間を過ごされていたこともあり、サッカーも勉学も、芹にとって大変良い環境でできるのではと勧めていただきました。目指し始めてから受験まで非常に短時間でしたが、本人も頑張りましたし、監督さん、コーチ、担任の先生、そして、たくさんのソッカー部先輩方に親身にご指導いただき、合格に導いていただきました。
――大学サッカーでの4年間で印象に残っている出来事や試合があれば教えてください。
お父様:宮城に住んでいるので、試合を見に行ける機会は少ないですけれども、1年生の開幕戦でスタメンだと発表されて、僕はYoutubeでライブ配信を見ていました。4―4―2の左サイドバックで出ていたのですが、応援というよりはヒヤヒヤして、ほんとうに大丈夫かと思って見ていました(苦笑)。1年生の時は、ホームの立教戦でアシストをしてチームの役に立てて、あの試合ぐらいから「自分もチームに貢献できると思うようになった」と言っていました。
お母様:直接の応援にはなかなか行くことができませんでしたが、いつもYoutube配信を見て仙台から応援していました。また、ケイスポの記事や、チームの保護者の方々が撮ってくださった動画や写真のおかげで、様子を知ることができました。3年生の4月、初戦の尚美学園大学戦も仙台からYouTubeで応援していました。美桜さん(=中村美桜、現理4・慶應湘南藤沢)が初めてキーパーでプレーした試合で、美桜さんの悩んだ末の決断と、決断後のものすごい努力を見ていて、芹も同じ3年生として、なんとしても自分も良いプレーをして勝利したいという想いがあったと思います。その試合でのプレーや2得点がとても印象に残っています。

フィールドからキーパーに転向した同期の中村選手が初めてキーパーで出場した試合

芹選手は2ゴールを挙げる活躍を見せた
――大学での4年間を経て、芹さんのどんなところに成長を感じていますか。
お父様:テソン監督、コーチの方々のご指導のおかげで、サッカーも上達したと思いますし、話すことや書くことも高校生の頃から成長したと思います。
お姉様:よく走るようになったと思います。
お父様:実家に帰ってきた時も、「ちょっと走ってくる」と言ってトレーニングしています。今年韓国でE1という東アジアの大会を見に行ったのですが、その時に「後半からディフェンスのシステムが変わったよね」と言い出して、そういうところも見ているんだと思い、少し意外で成長を感じました。
お母様:テソン監督、コーチの方々のご指導、はるかに経験豊富で技術的にもレベルの高いチームメイトの皆さんのおかげで、この4年間で上達することができたと思います。中でも、同学年の藤子さん(=小熊藤子、環4・山脇学園/スフィーダ世田谷ユース、RB大宮アルディージャWOMEN内定)、葵さん(=守部葵、環4・十文字)、美桜さんの存在に励まされ、引っ張ってもらった4年間だったと思います。芹は、入部後すぐに試合に出していただいていたものの、必ず途中で足が攣っていたのですが、本人曰くものすごくきつかったという沖縄合宿で鍛えられ、身体が変わり最後まで走れるようになりました。芹自身も努力を続け、成長することができたと思います。また、初めて地元を離れて体育会寮での生活もとても貴重な経験になったと思います。卒業された先輩方にはいまだによくしていただき、後輩の皆さんにも恵まれて、素晴らしい環境の中で人としても成長したと感じています。

――最終節では芹さんのどんな姿を見たいですか。
お父様:まずは、楽しんでもらえれば良いと思います。今日は最後の試合になる可能性が高いので、これまでやってきたことの積み上げも発揮してほしいですが、できなかったことができるとより良いと思います。小学校の時から見ていると、ボールがどこに飛んでくるか、次はどんな展開になるかといった予測が良いので、僕らは“忍者作戦”と呼んでいるのですが、そういったプレーがあると試合が盛り上がると思います。左のウイングバックで出ると思うので、クロスもあげてほしいですし、先ほどお話した尚美学園大学戦のようなプレーが一つあると面白いと思います。
お母様:いつも通り、最後の試合を楽しんでほしいです!
――最終節に臨む芹さんへ、メッセージをお願いします。
お姉様:最後の試合頑張ってください!
お父様:思い残すことなく頑張ってくれればと思います!
お母様:ここまで続けてきてくれて本当にありがとう!
迎えたキックオフ。
お父様の見立て通り、左WBでスタメン出場した芹選手。両足から放たれる正確なパスを武器に、左CBの宮嶋ひかり(環2・芝浦工業大学柏/ジェフユナイテッド市原・千葉レディースU18)選手、左シャドウの髙松芽衣(環2・植草学園大学附/ジェフユナイテッド市原・千葉レディースU18)選手との連携で左サイドを崩していく。

芹選手と宮嶋選手
4―1とリードで迎えた75分。慶大が敵陣深くまで攻め込むと、相手のクリアが小さくなる。このボールに、“忍者作戦”で培った抜群の読みを活かして反応した芹選手は、トラップから右足のシュート。これがファーサイドのサイドネットを揺らし、最終節での嬉しい得点となった。

芹選手の得点もあって勝利した慶大は、1部昇格の目標を達成した。

中村選手と喜びを分かち合う芹選手
今季はリーグ戦全18試合に出場。うち17試合にスタメンし、14試合でフル出場した。下級生の頃は体力に不安があった芹選手。誰よりも上下動が求められるWBでありながら、取り組み続けてきた走り込みが実を結び、長くピッチに立ち続けた。
芹選手がソッカー部でプレーしていたのは、決して目立つわけではないSBやWBのポジション。それでも、彼女の足元の技術や献身的なプレスバック、そして、幾度となくチャンスを演出したクロスは、見る人の心に深く刻まれている。

ピッチの外では、4年生唯一の寮生として、後輩とコミュニケーションを重ねてきた芹選手。チームメイトに恵まれ、4年間で大きな成長を果たした。卒業後も、地道に、ひたむきに、仲間を想って努力を重ね、社会へと旅立っていく。

(取材:柄澤晃希)
芹選手の部員ブログも併せてご覧ください!
『正解にする覚悟』(4年 坂口芹) | 慶應義塾体育会ソッカー部女子net


