25年度に卒業を迎える4年生を特集する特別企画「光るとき」。第7回となる今回は、辻野悠河(商4・暁星国際)。1年時からチームメイトから信頼され、主務としてピッチ内外でチーム、そして自分のために走り続けた4年間を振り返る。
山口県出身の辻野は、暁星国際高校で主力として活躍したのち、一般受験で中央大学、そして慶應義塾大学に合格。「4年間試合に出られずに終わりたくない」という思いでスポーツ推薦のない慶大へと進学を決め、ソッカー部の門を叩いた。すぐにトップチームで試合に出ると意気込んだものの、「予想外だった」というほどの選手層の厚さに阻まれ、1年時はBチームで過ごす。当初思い描いたソッカー部生活ではなかったが、転機は突然訪れる。2年時の夏、怪我人が続出したことからトップチームに抜擢され、いきなりスタメン出場。結果を残しトップチーム定着を果たした。
ピッチ内で順調に活躍していく傍ら、チームメイトは辻野の頭の回転の速さなどを高く評価。学年ミーティングにおいて即決で副務への就任が決定した。「自分が適任だと思ったし、同期からの投票が覚悟を決めさせてくれました。」と当時を振り返る。そして4年生になると同時に満を持して主務に就任した。ラストシーズンを選手と主務の二刀流で臨むことになった辻野だが、想像以上に多忙な日々を過ごす。午前は選手として練習に打ち込んだのち、午後は主務の仕事に没頭。部の口座の残高管理、出費の可否判断だけではなく、早慶戦、遠征や合宿の手配、体育会やOB会の会議の出席、外部とのやり取りなどの膨大な業務を選手と並行しながらこなした。「選手としてプレーしているときに主務の仕事が頭をよぎることもありました。他の選手がストレッチや筋トレなどのサッカーのために使う時間を自分は主務の仕事に使っていたので、時間管理と頭の切り替えがとても難しかったです。」とその大変さを語る。
一番大変だった時期として、早慶戦、延世定期戦、神戸定期戦、熊谷、山中の合宿、そして総理大臣杯の準備に追われた8月を挙げる。すべての業務を辻野1人でこなすわけではないが、進捗を逐一把握し、監督などと調整を重ねる必要があった。「早慶戦が近づいて選手としてコンディションを上げていかなきゃいけない中で、この量の業務を並行してやるのが一番大変でした。」と振り返る。主務生活一番の大変な時期を過ごした辻野だが、「早慶戦の入場時、階段を上って歓声を浴びながらピッチに入っていく瞬間は今でも忘れられないです。」と語る。他のメンバーと異なり、辻野は早慶戦当日、朝から準備に奔走していた。横断幕が張られ、女子部戦に向けてお客さんが入場し始める。徐々に会場のボルテージが上がっていく様子を間近で見ていた辻野は、「主務として作った最高の雰囲気の中、ピッチ内で自分が選手として見た光景は、ほかの選手と違う味わいだったかなと思います。」と目頭を熱くさせながら振り返る。辻野はインサイドハーフの一角としてスタメン出場を果たし、2-1での4年ぶりの勝利に貢献。選手と主務、究極の二刀流が高いレベルで実現可能だということを示した一日であった。
ピッチ外では頭をフル回転させている辻野だが、サッカー時はそうではないという。「サッカーをしているときは深く考えずに、感覚に任せてプレーしています。」と語る。辻野の抜群のポジショニングセンスが、自由自在に攻撃を組み立てる慶大のスタイルにフィット。無尽蔵のスタミナも活かし、攻守において常にベストポジションをとっていた。前期は全試合に出場したものの、後期は怪我の影響でプレータイムに制限がかかり、途中出場が中心となった。満足にプレー時間を取れない状況であったが、第12節・明治大戦で終了間際の値千金の同点ゴールを決めたように、ゲームチェンジャーとして流れを変える役割を果たした。
頑張ってほしい後輩として、石田航大(新政4・慶應/ブリオベッカ浦安U-18)を挙げる。「自分と同じタイプですね。とにかく走りまくってチームに貢献してほしい。」と期待を寄せる。また、主務を引き継ぐことになる神志那太一(新経4・慶應)に対しては、「自分だけでなく歴代の主務と比較されることは避けられないけど、それを気にすることなく『俺が1番できる』と思って主務の仕事もサッカーも頑張ってほしい。」と熱いエールを送った。選手と主務、究極の二刀流を成し遂げた辻野の生き様は、100周年を迎えるソッカー部に間違いなく刻まれることだろう。
(記事、取材:甲大悟)

