25年度に卒業を迎える4年生を特集する特別企画「光るとき」。第56回となる今回は、アメリカンフットボール部のRB・山内啓耀(経4・慶應)。中高ではラグビーに打ち込み、大学からアメリカンフットボールの世界へと飛び込んだ山内。DBからRBへのコンバートを経験し、3年時にはRBパートリーダーを務めるなど、ストイックな努力で着実に成長を遂げてきた。試行錯誤を重ねながら、自らの役割を追い求め続けた4年間。その歩みの先にたどり着いた思いとは――山内のアメフト人生を振り返る。
慶應義塾中高ではラグビーに打ち込んでいた山内。アメフトを始めたきっかけは、父がフラッグフットボールのコーチを務めていたことだった。中高でラグビーをやり切ったという実感があるなか、家系柄、以前から少し馴染みのあったアメリカンフットボールへと挑戦することを決意した。
山内のアメフト人生は、DBから始まった。ラグビー時代に好きだったタックルをアメフトでも生かしたいという思いから、そのポジションを選んだ。だが、ラグビーからアメフトへコンバートするなかで、コンタクトプレーには慣れていたものの、戦術面の違いに戸惑う日々が続いた。そんななかで、山内にとって大きな支えとなったのが先輩の存在だった。特に1年生の頃は、同じポジションの宗國元(令和6年卒)と林大成(令和7年卒)からアメフトのいろはを学んだ。練習中に教わったことをその都度ノートに書き留めるなど、戦術理解を深めていった。
山内にとって一つの大きな転機となったのは、RBへのコンバートだった。好きだったタックルはキッキングチームでのキックオフカバーで発揮できるようになり、さらに多く試合を観る中でRBへの憧れも芽生えていく。そうした思いが重なり、ポジション変更を筒井康裕ヘッドコーチに直談判。コンバートを受け入れてもらった。山内にとってこのコンバートは、自身の身体能力を高め、与えられた役割を確実に遂行するという強みを存分に生かせる、最適な選択だった。

3年時には、RBのパートリーダーを務めるまでにメキメキと実力を伸ばした。パートリーダーをやりたいと思ったきっかけの一つが、2年時シーズン最後の東大戦だった。スタメンで出場したその試合で、当時のUNICORNSのオフェンスはパス中心で展開していたが、「パスだとどこかで読まれてしまう。自分たちRBがゲインしないと来年は厳しいなと思った」と振り返る。この試合で抱いた思いを慕っていた木内寛太(令和7年卒)にぶつけたところ快諾。これがパートリーダーをするきっかけとなった。

山内がパートリーダーとして意識したのは、明確な目標を掲げ、その達成に向けたプロセスを仲間に示し続けることだった。先述のように、当時のチームカラーはパス中心のオフェンス。だからこそ、限られた機会をいかにものにできるかを常に考えていた。そのために、想定されるアサイメントの確認を繰り返し行い、試合を見据えたシミュレーションを重ねるなど、合理的な練習を追い求め続けた。また、11時頃に練習を終えた後も、13時頃までミーティングを行い、その後もグラウンドに残った。居残り練習の常連だった先輩QBの松本和樹(令和7年卒)や水島魁(令和7年卒)と15時頃までRBの仲間を誘って練習を重ねるなど、ストイックに自らを磨きながらRBパート全体の底上げにも努めた。

一番印象に残っている試合として挙げたのは、3年時に出場した関学大とのアメフト全日本大学選手権準決勝だった。初めて到達した関西の強豪との一戦で、実力差を思い知らされた。また、この試合をもって引退となった先輩QBの水島と交わした最後の握手も忘れられないという。これまでずっと練習をともにしてきた「大好きな先輩」から、試合後に「来年頑張れよ」と声をかけられた瞬間が、今でも強く印象に残っていると回顧した。
そして迎えたラストイヤー。務めてきたRBリーダーを後輩に託すことを決意した。また、副キャプテンにも立候補していたが、代での話し合いの末、その役職には就けないことが決まり、素直に落ち込んだという。ただ、山内はそこで視点を変えた。チームのために尽くすことが強調されがちな最終学年だからこそ、あえて自分自身にフォーカスを置く。自らがアメフトを心から楽しみ、その姿を後輩に見せることで影響を与えたい——そんな思いでプレーを続けた。
昨年は、チームとして苦しいシーズンだった。ただ、最後の最後に一矢を報い、TOP8の舞台を守り抜いたUNICORNSは、今年もその舞台を迎えることになった。先輩たちから多くを学んできた山内が後輩たちに願うのは、自分たちが当たり前のようにプレーできている環境が、決して当たり前ではないと実感することだ。ストイックに努力を重ねながら、心からアメフトを楽しむ。その姿は、これからも後輩たちの心に強く刻まれていくことだろう。山内が体現したその姿勢は、これからのUNICORNSにも確かに受け継がれていく。
※一部写真はご本人よりご提供いただきました。ありがとうございました。
(取材、記事:水野翔馬)


