【競走】栄光と自省を心に刻んだ4年間 新たな「飛躍」の道へ/4年生卒業企画「光るとき」 No.24 若原祐人

競走

25年度に卒業を迎える4年生を特集する特別企画「光るとき」。第24回となる今回は、競走部の若原祐人(経4・慶應)。走高跳を専門に六大学対校陸上の大舞台で躍動、華々しい活躍を見せる一方、最後まで目標の関東インカレ出場を成し遂げることはできなかった。様々な出会いに支えられ、酸いも甘いも経験した4年間。競技を終えた今、彼は何を思うのか。

 

陸上競技を始めたのは中学校の部活動だった。しかし最初から華々しい活躍を遂げたわけではない。「走ること自体が最初から得意だったわけではなく、友人に誘われて始めたんです」と語る。短距離種目ではなかなか試合に出るチャンスを掴めない中で、顧問の先生から「枠が空いているから跳躍をやってみないか」と打診された。これが若原の陸上人生を動かす。

 高く跳び、バーを越えた瞬間の達成感。偶然始めた跳躍にのめり込み、中学そして高校と競技を続ける中で憧れの存在が現れる。慶應義塾高校時代の二つ上の先輩、武田翔太(令6法卒)だ。 「大舞台で活躍する武田さんは本当に凄い存在でした。その武田さんから『一緒にやらないか』と声をかけていただいた。武田さんのように強くなりたい。その思いで慶大競走部の入部を決めました。

 

 大学入学後、若原は早くから早慶戦や慶同戦といった伝統の一戦に名を連ねる。だが彼自身の心境は複雑だった。 多くの試合に出場する一方で突き抜けた結果を残すことが出来ずにチームに貢献できていないのではと考え、悔しさが募っていく日々が続いた。しかしその悔しさは大学3年時の六大学対校陸上で結実する。前週の記録会で自己記録をマークし絶好調で迎えた試合。若原は並み居る強豪を抑え、自身の陸上人生で初となる「優勝」の栄冠を掴み取る。 好調を維持する自己タイ記録での優勝は彼にとっての大きな自信となった。

 若原の飛躍の裏には、コーチである加藤健太郎氏(平29鈴鹿高専卒)の存在があった。 慶應卒ではない加藤氏が武田氏との縁でコーチに着任すると、練習の強度はより高まった。加藤氏は現役選手としても活動しているが故、部員に練習メニューを提示するだけでなく自らもきつい練習をこなす。その背中に感化され、若原の競技に対する意識も高まっていった。

 

 しかし競技の世界は残酷だ。目標に掲げていた関東インカレの標準記録「2m03」に対して若原の自己ベストは「2m00」。わずか3センチだが、 「その3センチに自分の甘えが出ていた」と語る。 加藤氏と出会って自分を追い込むことができるようになった。しかし彼と出会う前の自分に足りなかった厳しさが、最後まで届かなかった3センチという差になって現れたのではないか。若原はそう言葉を紡いだ。

 また彼が一人の競技者として戦い抜けたのは仲間の存在がある。 「一人に絞りきれない」と言いつつ、感謝している人にまず初めに挙げたのは同期の稲井孝太郎(法4・慶應)。高校から7年間、同じ走高跳ブロックで切磋琢磨してきた。「時に意見がぶつかる時もあった」と話すが、本音でぶつかり合える彼の存在がモチベーションの維持に繋がった。 また中学時代からの縁である短距離の西尾太郎(法4・慶應)大島瑠偉(経4・慶應)の名も挙がった。種目は違えど苦楽をともにした彼らの存在は若原の陸上人生を彩った。

 

 若原にとって、慶大競走部とはどのような場所だったのか。 「皆、頭が良い。だからこそ自ら考えて行動できる。そんな集団の中に身を置けたことが、自分にとって最大の刺激でした。」

 陸上競技は完全に引退する。「高跳びはもうしない」と話すが、去年の関東インカレ一部残留を支えた後輩たちへの期待は尽きない。そして新たに慶大競走部の主将となった走高跳の須崎遥也(新商4・丸亀)には特に強い期待を寄せる。 「須崎の努力量は武田さんにも匹敵する。過去2年悔しい思いをしてきたからこそ、その思いをラストイヤーにぶつけて欲しいと思います。」

 3センチの悔しさを抱えつつも、若原の心はきっと晴れやかなはずだ。全力を尽くしたからこその「悔しい」という言葉を胸に、彼は跳躍の助走と同様、新しい人生のフィールドでの飛躍へと駆け出していく。

 

(取材・記事:野村康介、編集:中原亜季帆)

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