24年度に引退を迎えた4年生を特集する「Last message~4年間の軌跡~」。第16回となる今回は、慶大競走部で主務を務めた吉川昂希(総4・湘南学園)。選手としての競技人生を歩みながら、チームを支える立場へと転身。その決断の裏には彼なりの信念があった。部活動の最前線と舞台裏、その両方を肌で感じた4年間を振り返る。
“石の上にも三年”、これは吉川が大切にしてきた言葉だ。
「部活動も受験勉強もそうでしたが、自分では3年しっかり取り組めば何かしらの成果が見えてくるだろう、3年やって何もできなかったらそれは仕方がないと思ってきました」
もともとは短距離選手としての活躍を目指していた。ただ、三輪颯太(環4・西武文理)や篠宮健吾(政4・慶應)など同期のライバルとは力の差を感じていた。

元々は短距離選手だった吉川(写真中央)
転機となったのは大学3年春の東京六大学対校陸上。この大会では、国立競技場でイベント事業のプロと共に大会運営に携わる機会があり、運営側の人間に求められる資質と仕事への大きなやりがいを感じた。
「選手として結果を出すにしても、裏方としてチームを支えるにしても、中途半端な気持ちでは成し遂げられないと強く感じ、『どちらかに決めなければ』と思うようになりました。熟考の末に、チームを支える道を選びました」

100m優勝を果たした三輪と喜びを分かち合う(2023年六大学対校戦)
最終学年では競走部主務に就任。150人に上る部員をまとめる立場になった
「主務の仕事は、チームの雰囲気づくりや練習環境の整備など多岐にわたります。その全てが、スローガン『すゝめ。We over me』(個人では成し遂げられないことを、チームとしてどう乗り越えていくか)の実現、そしてチームの勝利につながるようにと意識して取り組んできました」
理想と現実のギャップに直面する場面も多かった。幹部会議では、チームの方針について意見の違いがあり、調整に苦労した。部員1人1人の認識の仕方も異なることから、全員にチーム方針を共有することも簡単ではなかった。
ここで吉川が心がけたことは、できるだけ多くの部員とコミュニケーションを取ること。
「部室が1階、会議室が2階にあるので、1階で作業をすることで部員と積極的にコミュニケーションを取るようにしていました。一緒にご飯に行くなど、練習以外の時間でコミュニケーションを取ることも大事にしていました」

主将の豊田(写真左)とは何度も意見をぶつけ合った
選手と同じ目線に立つことも大切にした。
「選手のみんなに『最近の調子はどうか?』など気軽に話しかけ悩みを聞きながら、マネジメントできることを考えていました。選手として大切にしていたルーティンや考え方をある程度理解していたおかげで、自分なりに選手たちに寄り添うことができたと思います」

”部員の思いに耳を傾け、その思いを繋げる”
『理想のリーダーとは何か?』、吉川はこの問いを4年間考え続けてきた。確かな答えはまだ見つかっていない。ただ、主務の仕事を通じて実感したことがある。
「チームメンバーや多くの人の思いに耳を傾けて、その思いを繋げること、これがリーダーの役割の1つだと思います。この貢献がチームの一体感を生み、結果的に勝利に繋がることを何度も経験しました」
最もやりがいを感じたのは4年生の春に日吉で行われた東京六大学陸上対校戦。吉川はこの大会で幹事長を務め、他大学と連携する形で大会運営を統率し、大会の成功に尽力。人の意見を上手くまとめ上げる彼の力が発揮された大会となった。

共に競走部を支えた107代の同期たち(下段中央)
競走部で過ごした4年間は刺激的で特別な時間だった。引退後、部の仲間と過ごす時間が減ったことで、その大切さを改めて実感したという。「石の上にも三年」、慶大競走部で培った経験を胸に、吉川昂希は新たな舞台へと走り始める。
【Last message】
「改めて心から感謝の気持ちをお伝えしたいです。監督、コーチやその他スタッフ陣、試合を見に来てくださる観客、OB・OGの皆様など本当に多くの方々の支えがあったからこそ、学生競技の価値を知ることが出来ましたし、自分たち107代は最後まで走りぬくことが出来たと思います。個人的に主将の豊田には、チームを1年間背中で引っ張ってくれてありがとうと言いたいです。これからは戦う舞台は違いますけど、今度は自分が背中を見せられるように頑張ります。そして何より、今年のチームがこれだけの成果をあげられたのは、試合に出られなかった者を含め数多くの選手が練習から何まで身を削った日々があります。本当にみんな4年間お疲れさま」

かっけえリーダーを目指せ!!
(取材・記事:竹腰環)