【Last message】「ゴールが切り替わった感覚」オリンピアンの苦悩と気づき/4年生特集「Last message~4年間の軌跡~」 No.21・豊田兼(競走部)

競走

24年度に引退を迎えた4年生を特集する「Last message~4年間の軌跡~」。第21回となる今回は、慶大競走部第107代主将・豊田兼(環4・桐朋)。インカレ優勝やパリ五輪出場などの輝かしい功績の裏で、彼は陸上競技に全力で向き合い続けてきた。オリンピアンが今になって語る苦悩と気づきとは?

 

幼いころから走ることが好きだった。もっと速くなりたいという思いで地元の陸上クラブで競技を始めた。そんな豊田がハードルを始めたのは高校から。

「それまで一つの競技に絞らず混成で競技をやっていて、その中で自分に一番適性があったのがハードルだったんです」

「自分に一番適性があったのがハードルだったんです」

豊田にとって陸上は“生き方”そのものだった。

「目標を立て、その達成に向けて逆算しながら現状を分析し、必要なことを見極める。このプロセスは勉強や仕事にも通じます。努力が数値として結果に表れる点が陸上競技の魅力で、そういった過程が好きなんです」

「努力が数値として結果に表れるが過程が好きなんです」

高校で頭角を現した豊田は、学業との両立を目指して慶大競走部に入部。競走部の自主性が尊重される環境は、110mHと400mHの二種目でオリンピックを目指した彼にとって理想的だった。

その後順調に成長を遂げ、関東インカレ優勝や世界大会出場など学生屈指のランナーへと成長。大学4年生では、第107代主将としてチームを率いる立場となった。

ワールドユニバーシティゲームズでは優勝を果たした(2023年)

「残り1年間、悔いのないように終えたいという思いが強くありました」

オリンピックを目指す2024年シーズン。豊田は日本選手権で優勝し400mHでパリ五輪日本代表に選ばれた。

オリンピックでの経験は豊田に新たな感覚をもたらした。オリンピックに出場した経験を“ゴールが切り替わった感覚”と表現する。

“ゴールが切り替わった感覚”

「今までは、”オリンピック出場”が山の頂で、いざその山の頂に登ってみると雲を抜けてさらに大きな山が見える、下からは雲で隠れて見えなかったけど、山を登ってみるとまた山が見えるみたいなイメージなんです。1回オリンピックの舞台を経験したので、次の目標がさらに上の決勝の舞台で戦うことだったり、メダル獲得となるように、必然的に目標が切り替わるという感覚ですね」

 

ただ、このシーズンは豊田にとって苦悩の年にもなった。特に苦しんだのは、主将としての責任と自身の競技生活の両立。日本選手権の直後に脚を負傷し、怪我により早慶戦や全日本インカレなどその後の試合を欠場した。彼の離脱は慶大にとっても大きかった。

主将として臨んだ最後の早慶戦(写真左)

「一番悔しかったのは、怪我で出られなかった全日本インカレ。応援は大切ですが、今まで結果でチームに貢献してきた自分がスタンドで4日間応援だけで終わってしまったのは、主将としての役割を全うしきれなかったような感覚があって、すごく悔しかったですね」

苦しむ豊田を支えたのは同期だった。

「主務の吉川や幹部の仲間たちが、自分が思うように走れない状況や成果が出ない中で、声をかけてくれたり支えてくれたことを覚えています」

4年間苦楽を共にした107代の同期

豊田にとって、競走部の同期は頼もしく、個性が強いメンバーだった。特に三輪颯太(環4・西武文理)とは1年生の頃からウエイトトレーニングを一緒に行い、常に互いを意識しながら切磋琢磨してきた。

「彼は高校時代に100m・200mで全国2冠を達成していたので、『負けたくない』という思いが強くありました」

実際、三輪が世界リレー代表に選ばれ先に日本代表として活躍した翌日の練習は、チームメイト曰く「めちゃめちゃ気合いが入っていた」という。

切磋琢磨した4年間

 

 

「やりきったなという感じですね」

率直に抱いた思いだった。競走部での4年間は個人、そしてチームとしても充実した時間となった。競技者としても人間としても飛躍を遂げた豊田。その挑戦はこれからも続いていく。

 

【Last message】

「この部活はどの大学よりも競技で結果を残すための環境として素晴らしいと思います。特にサポート体制の部分。大学に入って初めてサポートの存在を知りましたし、競技で結果を残す選手と一緒に歩んでくれるみんなの存在がなかったら、僕らもここまで強くなれなかったと思います。むしろもうこれからがちょっと不安になるぐらい寂しい思いはあります。

同期は、競技力もそうですが特に人間力の部分ですね。練習に対する姿勢とか、考え方とかはめちゃくちゃ参考になる部分とか多かったですし、いろんな人の意見を吸収できたから今の僕があると思っています。本当に感謝しています。

後輩たちに向けては、僕らの代が強かったんで競技力としては今後の試合が結構厳しい戦いになるかと思われがちですが、意外とそんなことなく皆さん強いので気にせず戦ってください。頑張ってって感じです」

「ありがとうございました」

 

(取材・記事:竹腰環)

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