【野球】「慶應で野球をやらせてもらったことは財産」チームを支え続けたチーフコーチ/4年生卒業企画「光るとき」 No.73・金岡優仁(野球部)  

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25年度に卒業を迎える4年生を特集する特別企画「光るとき」。第73回となる今回は、野球部・金岡優仁(商4・慶應)。怪我によりプレーヤーから学生コーチに転身。監督と選手の橋渡し役として歩んだ慶大野球部での4年間に迫る。

 

選手だけで150人を超える大所帯の慶大野球部。その中で、監督と選手の間に立ち、チームを支える存在が「学生コーチ」だ。そのまとめ役としてチーフコーチを務めたのが、金岡優仁(商4・慶應)。プレーヤーからコーチへ立場を変え、「チームが勝つためには何が必要か」を問い続けた。4年間を振り返って真っ先に思い浮かぶものは何か――。そう問われた金岡は「最後の1年間、友人、チームメイト、後輩たちとともに、学生コーチとして野球に向き合った日々」と語った。しかし、最後の年は決してチームとして順風満帆ではなかった。チーフコーチとして何を考え、いかに”チーム外丸”と向き合い続けたのか。

 

金岡が野球をはじめたきっかけは「野球が一番面白いな」という率直な感情からだった。父とともにキャッチボールをしたり、サッカーやゴルフなど様々なスポーツに触れる中で、野球の面白さに惹かれていったという。慶應義塾高校では主将を務め、高校3年夏の全国高校野球選手権神奈川大会では準決勝まで進むも、敗退。甲子園に届かなかった悔しさから大学での野球継続を決意した。

大学入学後は、強豪校出身の選手たちが集まる環境の中で野球に向き合い続けた。しかし――3年の4月頃、金岡にとって大きな出来事が起こる。腰の怪我だった。なかなか歩けず、身体が思った通りに動かない。頭の中では「こうやって足を出して、ゴロを捕って」というイメージができているのに、痛みで足が出なかった。3年生になった時の自分の立ち位置も踏まえ、プレーヤーとして続けるのは「厳しい」と感じた。

 

そこから学生コーチという立場としてチームを支えることになった金岡。4年生になると、学生コーチのまとめ役であるチーフコーチに就任した。主に練習メニューを監督と話しながら考え、練習の旗振り役を務めるほか、選手と監督の意見を吸い上げ双方とコミュニケーションを取るなど、選手と監督の橋渡し役となった。神宮では試合前のノックも担当し、グラウンドに立ってチームを下支えした。

 

「どうしたら日本一になれるのか」を考えて取り組んできた金岡だったが、チームは春秋ともにリーグ戦5位という結果に終わった。思うように勝つことができず、「どうやったら勝てるんだろう」という思いが頭をよぎった。「このやり方であっているのか」「これで勝つことができるのか」。チーム内で相談を重ねても、誰も正解がわからない状態だったという。

4年間を通して最も成長したと感じているのは、「我慢強くやり続ける力」だと振り返る。結果が出ない中、「何がダメなのか」「どうすればいいのか」を考え続けた日々。その積み重ねが自身を大きく成長させた。そして、「7年間慶應で野球をやらせてもらったことは『財産』」と語る。高校時代から、物事の先を考え、目標を立て、課題を一つひとつクリアしていく力を磨いてきた。その力は今後の人生のどの場面においても活かされていくだろう。

 

主将・今津慶介(総4・旭川東)率いる新チームのチーフコーチには山口瑛士(商4・県立郡山)が就任。金岡は、後任の山口瑛に対し、持ち前のパワフルさと声の大きさから「似合っているよ」と声をかけた。「立場上、様々なことを言わなきゃいけないと思う。辛い部分もあると思うけど、頑張ってほしい」とエールを送った。

腰の怪我からプレーヤーを引退し、チーフコーチとしてチームを支え続けた金岡。監督と選手の間に立ち、チームのために思いを伝え続けてきた。3季連続5位という結果に終わったものの、その存在はチームにとってかけがえのないものだっただろう。慶應で培った「財産」とともに金岡のこれからの活躍を期待したい。

 

(取材、記事:河合亜采子)

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