【競走】成功と挫折のその果てに 「センゴ」の鈴木がたどり着いた境地/4年生卒業企画「光るとき」 No. 25 ・鈴木太陽

競走

25年度に卒業を迎える4年生を特集する特別企画「光るとき」。第25回となる今回は、競走部長距離ブロックの鈴木太陽(環4・宇都宮)。入学時は期待されていたものの、3年時まで思うような結果は残せていなかった鈴木。しかし4年時に大きく飛躍し、1500mで関東インカレ3位入賞、全日本インカレでも塾記録を更新する走りを見せ、日本選手権に出場。文字通り、競走部史に残るランナーへと成長を遂げた。そんな鈴木は自らの競技人生を「成功と挫折の繰り返し」と表現する。

 

1500mで日本選手権に出場

鈴木の陸上との出会いは中学時代、水泳での挫折がきっかけだった。「小中と水泳競技に取り組んできたんですけど、とにかく本番に弱かったんです。一方で、陸上部のレースに助っ人として出させてもらう中で、どんどん記録が伸びていきました」。自分の可能性を伸ばそうと、高校からは陸上へ専念することを決めた。宇都宮高校に進学した鈴木は、1500mと3000mSCで全国高校総体にも出場するなどぐんぐんと力をつける。そんな鈴木がさらなる活躍の場として選んだのが、慶大競走部だった。

 

入部後、トラックシーズンでは3000mSCを中心に取り組んでいた鈴木。だが4年時の関東インカレで、異例とも言える1500mとのダブル出場を選択する。3000mSCは長距離ブロックの最大目標である箱根駅伝予選会(ハーフマラソン)とのシナジーも強く、対して1500mは「チームの目標からは少し逸れてしまう種目」だった。だが「最後(の関東インカレ)くらいは自分の可能性にチャレンジしてみたい」と臨んだ本番、鈴木は1500mで全体3位の好成績を残す。部の1部残留に大きな追い風を吹かせた走りは、25年度のスローガン「此処ぞ、勝ち鬨」を体現したものとなった。

流れをがっちりと引き寄せた

一方で、4年時の箱根駅伝予選会では大きな挫折感を味わったという。レース前半は日本人のトップ集団でレースを進めたものの、後半に失速。本気で箱根駅伝の舞台を目指していた鈴木にとって、ショックは大きかった。「終わった直後は、やりきったな、後悔はないな、と考えていたが、数ヶ月を経て、自分の努力不足や努力の方向性が噛み合っていなかったのかもしれないと感じている」。だからこそ、様々なものを犠牲にして箱根駅伝に挑み続けてもなお届かなかった経験も、必ず今後の人生の糧にしなければならない、そう鈴木は語った。

箱根路には届かなかった

得意な種目は何か。この問いに鈴木は「1500mになってしまった」と答えた。入学時には3000mSCとハーフマラソンで結果を出したいと意気込んで臨んだ鈴木にとって、1500mはある意味「ラストイヤーにちょろっと取り組んだ種目」だったそうだ。だが、もともと中学時代、鈴木は1500m“泳”でライバルとしのぎを削ってきた。水泳の道を諦め陸上競技に転向してもなお、心のどこかには「センゴ」へのこだわり、心の底から勝ちたいという熱い思いが燻っていた。「努力が狙った場所で輝くとは限らないけど、どこかでガチッとはまる瞬間や場所があるはずだし、そう信じて今を愚直に積み重ねていくしかない」。この言葉に、鈴木の人生論がにじみ出ていた。

3000mSCでも力走した

鈴木は慶大競走部の魅力を「バックグラウンドが多様なことで、それぞれの信念や流儀も様々であること」と語る。そんな個性を持つ部員たちの信念に影響を受け、時にはぶつかり合いながら、自分の信念や価値観も変化してきた4年間だったという。そんな競走部の後輩たち全員に大きな期待を寄せている鈴木。自らも1年前は関東インカレでの表彰台、日本選手権出場は想像していなかったといい、「夢中になって競技に取り組めば誰もが一気に覚醒して伸びる可能性はある」「思いもよらないジャイアントキリングを起こしてほしい」とエールを送った。

鈴木が信じている言葉がある。それは、「努力に勝る才能なし、夢中に勝る努力なし」という言葉。水泳と陸上、計15年間速さを追い続けた競技人生で酸いも甘いも噛み分けた、そんな鈴木のたどり着いた境地だった。

(取材・記事:鈴木拓己、編集:中原亜季帆)

タイトルとURLをコピーしました